ディスコグラフィ   シカゴ(27)

CHICAGO XXVII
THE VERY BEST OF : ONLY THE BEGINNING 
(2002/7)
CHICAGO

曲目 シカゴ・コンプリート・ベスト
シカゴ
総評

試聴♪

Produced by JAMES WILLIAM GUERCIO (DISC 1、DISC 2-01、02、03)
PHIL RAMONE & CHICAGO (DISC 2-04、05)
DAVID FOSTER (DISC 2-06、07、08、09、10、11、12、13)
CHAS SANDFORD (DISC 2-15)
RON NEVISON (DISC 2-14、16、17、18、19)
BRUCE FAIRBAIRN (DISC 2-20)

曲目
<DISC 1>
01 MAKE ME SMILE (New Edit) ぼくらに微笑みを (ニュー・エディット)
02 25 OR 6 TO 4 長い夜
03 DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ? (New Edit) いったい現実を把握している者はいるだろうか? (ニュー・エディット)
04 BEGINNINGS (GH Edit) ビギニングス
(グレーテスト・ヒッツ・エディット)
05 QUESTIONS 67 AND 68 クエスチョンズ67/68
06 I'M A MAN (New Edit) アイム・ア・マン (ニュー・エディット)
07 COLOUR MY WORLD ぼくらの世界をバラ色に
08 FREE 自由になりたい
09 LOWDOWN ロウダウン
10 SATURDAY IN THE PARK サタデイ・イン・ザ・パーク
11 DIALOGUE (PART I & II)
(Single Version)
ダイアログ(パート1&2)
(シングル・バージョン)
12 JUST YOU 'N' ME 君とふたりで
13 FEELIN' STRONGER EVERY DAY 愛のきずな
14 (I'VE BEEN) SEARCHIN' SO LONG 遙かなる愛の夜明け
15 WISHING YOU WERE HERE 渚に消えた恋
16 CALL ON ME 君は僕のすべて
17 HAPPY MAN (GH2 Edit) ハッピー・マン
(グレーテスト・ヒッツ・エディット)
18 ANOTHER RAINY DAY IN NEW YORK CITY 雨の日のニューヨーク
19 IF YOU LEAVE ME NOW 愛ある別れ
<DISC 2>
01 OLD DAYS 追憶の日々
02 BABY, WHAT A BIG SURPRISE 朝もやの二人
03 TAKE ME BACK TO CHICAGO
(Single Version)
シカゴへ帰りたい
(シングル・バージョン)
04 ALIVE AGAIN アライヴ・アゲイン
05 NO TELL LOVER ノー・テル・ラヴァー
06 LOVE ME TOMORROW
(Single Version)
ラヴ・ミー・トゥモロウ
(シングル・バージョン)
07 HARD TO SAY I'M SORRY /
GET AWAY
素直になれなくて〜ゲット・アウェイ
08 STAY THE NIGHT ステイ・ザ・ナイト
09 HARD HABIT TO BREAK 忘れ得ぬ君に
10 YOU'RE THE INSPIRATION 君こそすべて
11 ALONG COMES A WOMAN
(Single Version)
いかした彼女
(シングル・バージョン)
12 WILL YOU STILL LOVE ME ?
(Single Version)
スティル・ラヴ・ミー
(シングル・バージョン)
13 IF SHE WOULD HAVE BEEN FAITHFUL... フェイスフル
14

LOOK AWAY (Single Version)

ルック・アウェイ (シングル・バージョン)
15 WHAT KIND OF MAN WOULD I BE ? (Single Version) ホワット・カインド・オブ・マン
(シングル・バージョン)
16 I DON'T WANNA LIVE WITHOUT YOUR LOVE リヴ・ウィズアウト・ユア・ラヴ
17 WE CAN LAST FOREVER
(Single Version)
ウィ・キャン・ラスト・フォーエヴァー
(シングル・バージョン)
18 YOU'RE NOT ALONE
(Single Version)
ユー・アー・ノット・アローン
(シングル・バージョン)
19 CHASIN' THE WIND チェイシン・ザ・ウィンド
20

SING, SING, SING

シング・シング・シング

<DISC 2>

01

OLD DAYS
追憶の日々

JAMES PANKOW

 75年、『未だ見ぬアメリカ(シカゴVIII)』収録。

この曲をはじめて聴いたときは、「これぞロックだ!」と思ったのを覚えてます。内容は超ノスタルジックな思い出ソングなんですけどね・・・。

ただ、よく言われるように、ピーターは趣味に合わないとして、この曲をひどく嫌がったそうです。本人曰く、「ハウディ・ドゥーディ、ベースボール・カード?悪趣味だぜ、こんなくだらない歌は歌わないよ!」と。

しかし、作者のジミーはこの少年時代の回想曲によほどの思い入れがあるらしく、「グッとくるものがある」という万感の品々を掲げ、≪過ぎ去った過去に連れ戻して。思い出はまるで昨日のことのようだよ≫と思いを馳せます。この気持ち、よおく分かります。時代背景上もこの頃アメリカは懐古主義的、つまり、ベトナム戦争のあやまちに世間の気力が萎(な)え、古き良きものへの郷愁が支配していた時期でもありましたから、余計そうなんでしょう。個人的にはジミーに軍配を挙げたいと思います。それに、ヴォーカルだって、ピーターならではの作品だと私は考えます。

そんな郷愁的な思いに、こちらも胸が熱くなる部分があります。とくに、≪summer nights and streetcars, Take me back〜≫から同調するストリングスの調べには、そのままどこかに連れていかれそうになる、何とも言えない味わいがあります。このストリングスは、パット・ウィリアムスが担当しています。

それと、この曲のチャート上の上昇の仕方には目を見張るものがありました。"HARRY TRUMAN"のスマッシュ・ヒットの後を受けて、68位で初登場するや否や次の週には43位へジャンプ・アップ。そして、当時としては珍しかった、トップ40圏外から10位代への大幅アップとなる、43位→17位への急上昇。この曲こそ"愛ある別れ"に先駆けて初の1位になるのでは?という期待を抱いた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

ところが、結局は5位を2週連続キープするにとどまりました。このときの第1位は、それぞれジョン・デンヴァーの"すばらしきカントリー・ボーイ"とアメリカの"金色の髪の少女"。なぜか悔しい気がしません(笑)。そして、その次の週からは、なんとキャプテン&テニールの大ヒット曲"愛ある限り"が1位を独走(4週連続)。これも悪い気はしません。

02
BABY, WHAT A BIG SURPRISE
朝もやの二人

PETER CETERA

 77年、『シカゴ XI』収録。

出だしのイントロ部分の音が何の楽器によるものなのか実はよく分かりません。ボックス・セット『グループ・ポートレイト』のピーターの言によれば、ピッコロ・トランペットのようにも思えますし、収録アルバム『シカゴ XI』の他の曲の楽器リストから推測すると、フリューゲル・ホーンとも考えられます(もしかして、両者は同じものを指してるとか!?)。それに、フルートのように聴こえなくもないという困惑状態。とにかく、私のような楽器音痴が私的感想を述べるのは考えものです・・・。

なお、歌詞中、“もや”を表す言葉は出てこないのですが、このイントロ部分は、まさにこの“もや”を、それもみずみずしく表現している点で“朝もや”の雰囲気を連想させるに十分だと思います。

曲の内容としては、≪僕は人生を無駄に過ごしてきたけど、今日この場でキミがやさしく僕の心を変えてくれたんだ≫という歌詞に象徴されるように、運命の人に出会えた瞬間の新鮮な驚きを包み隠さず、歌い上げたものと推測されます。

ここにいう≪キミ≫とは、のちに結婚〜離婚を遂げるダイアン・ニニのことを指すのでしょう。ちなみに、2人の間に生まれたクレア・セテラはピーターが引き取り、今では女子スノー・ボード界の有望選手にまでなりました。2002年のソルトレーク・オリンピック代表にあと一歩及ばず、という実にハイ・レベルのスキルです。さらに、2004年に発表されたピーターのクリスマス・アルバム『YOU JUST GOTTA LOVE CHRISTMAS』の中では、堂々としたデュエット相手を務めています。

また、この曲のバック・ヴォーカルには、ピーターの実弟のティム・セテラや、ビーチ・ボーイズの故カール・ウィルソンが参加しています。さらに、クレジットはされていないものの、エンディングのフェイド・アウト部分で聴こえるのはテリーの声のような気もするのですが、果たして・・・。

03
TAKE ME BACK TO CHICAGO (Single Version)
シカゴへ帰りたい (シングル・バージョン)
DANIEL SERAPHINE DAVID "HAWK" WOLINSKI

 77年、『シカゴ XI』収録。

 81年、『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』収録。

出身者が大半を占め、少なくともグループ結成の地として拠り所となる土地、シカゴ。のちにニューヨーク、ロッキー山脈とレコーディングの拠点を移す彼らですが、11枚目のアルバム『シカゴ XI』に至ってはじめて地名のシカゴをモチーフとしたジャケット・デザインを持ち出します。"TAKE ME BACK TO CHICAGO"というタイトルからすれば、メンバー自身が懐かしの地、シカゴに戻りたいという願いを込めて作ったもの、と想像するのは難しいことではないかもしれません。

但し、作曲者のダニーは、この曲を自分の友人に捧げています。その友人とは、イリノイ・スピード・プレスという、ほとんど成功しなかったグループのドラマー、フレディ・ペイジを指すようです。その彼は悲劇的な死を遂げたということだけ伝わっています。

また、このアルバム『シカゴ XI』がリリースされた4ヶ月後、グループ結成の核となったテリー・キャスが拳銃の暴発事故でこの世を去り、シカゴの活動は暗転します。そんな経緯もあって、"TAKE ME BACK TO CHICAGO"というタイトルは、打ちのめされたメンバー各自の思いを馳せる地として関連付けされてしまうこともあるかもしれません。

いずれにしろ、どこかノスタルジックで、寂寥感に似たものを感じさせるのは、ロバート・ラムの実に滑らかでやさしいヴォーカルによるものと思われます。

なお、この曲でも、やはり、ダニーの盟友、デイビッド・“ホーク”・ウォリンスキーの助力が光ります。また、同じく同郷のチャカ・カーンが後半のコーラスに大活躍してくれます。

しかし、残念ながら、本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』に収められているのは、間奏や、チャカとメンバーの掛け合いが大幅にカットされたシングル・バージョンです。このシングル・バージョンは、『シカゴ・グレーテスト・ヒッツ VOL.2』に収録されたものと同一と思われますが、不思議なことに、(GH2 Edit)という表記はなされていません。くどくなるので連記しなかったということでしょうか。

04
ALIVE AGAIN
アライヴ・アゲイン

JAMES PANKOW

 78年、『ホット・ストリート』収録。

前作11作目の『シカゴ XI』をリリースした翌年78年1月に、シカゴはグループの中心的メンバーであったテリー・キャスを不慮の事故で失い、絶望の淵に立たされます。

しかし、茫然としている間もなく、意外にも早くシカゴ新生への道は着手されることになります。

まず、同年4月には、後任のギタリストとして、スティーヴン・スティルス・バンドに在籍した経歴のあるドニー・デイカスを採用します。次いで、5月からは慣れ親しんだカリブー・ランチからマイアミに移してレコーディングを開始します。

そして、テリーの死からわずか8ヶ月足らずの9月に、ニュー・アルバム、12作目の本作『ホット・ストリート』がリリースされるに至ります。

以上の経過を踏まえて、続く10月にカットされたシングルがこの"ALIVE AGAIN"なのです。同シングルは、その週の初登場曲としては最高位の第63位という好位置でチャート・イン。いかにファンの注目が高かったかがうかがわれます。

ドニーの弾けるようなギター・イントロで始まるこの曲は、忌まわしい過去振り払うかのように軽快なテンポを内包しています。

≪明日になれば太陽が輝くなんて、昨日は思いもしなかった。(それほど落ち込んでいたのに)僕の人生にキミが加わることで、僕は生き返ったんだ!≫、≪すべての虚しい過去はもはや消え去った。今ではキミが僕の人生を愛で満たしてくれる≫。表面上は、絶望していた人間が新しい恋人の出現によって活力を取り戻すという歌詞ですが、これがテリーを失った悲しみと、再起を誓うグループの強い意思の表れであることは明らかです。作者のジミーも「行間を読んでもらえば分かる」と言っています。

また、この曲の収録されたアルバムは、『HOT STREETS』とあるようにナンバーがふられていません。しかも、極度に露出の少なかった彼らの写真がジャケットを飾っています。この辺りからも再起に賭ける尋常でない意気込みが伝わってくるというものです。

はたして、未曾有の危機に直面したシカゴはこの曲によってまさに“甦った”のです!その意味で彼らにとって、また、ファンにとっても非常に重要な楽曲になりました。

05
NO TELL LOVER
ノー・テル・ラヴァー

LEE LOUGHNANE DANIEL SERAPHINE PETER CETERA

 78年、『ホット・ストリート』収録。

前曲"ALIVE AGAIN"に続けてシングル・カットされたメロウなバラード。

≪no tell lover≫という語が多くの訳詞に見られるように、≪まだ口を聞いたこともない片想いの相手≫を意味するのであれば、非常にストイックな主人公の心情が綴られている曲と考えてよさそうです。つまり、いつも距離を置きつつ、ただ≪彼女が欲しい。彼女のもとを離れられない。彼女なしでは生きられない≫と内なる叫びを発しているにすぎないからです。おまけに、≪まわりからは、そんな恋は成就しないと言われる≫なんて当然の反応まで認識しています。

この作品は共作ですが、クレジットの順からして、リー・ロックネインが中心的にライティングしたものなのでしょう。リーは、『7』において"CALL ON ME"を作曲していますが、そこで見られた体裁を繕う主人公と違って、この"NO TELL LOVER"では以上のようにストイックで繊細な主人公像が描かれています。

ヴォーカルはピーター。冒頭の≪Pretty smile lovely face and a warm breeze now I need you lady≫という滑り出しのテンポの良さは天下一品。甘く切なく歌い上げるピーター。世間的な認識として、「ピーター=ラブ・バラード」という図式がもはや動かしがたいものとなってきたということなのでしょうか・・・。そう思うと複雑です。

なお、この曲のスマッシュ・ヒットの後、シカゴは、『シカゴ13』、『シカゴXIV』というアルバムとともに、シングルも数枚リリースしますが、チャート的にはさして奮いませんでした。

77年の『シカゴ XI』リリース直後の、プロデューサー、ガルシオとの訣別、そして、テリーとの永遠の別れ・・・。こういった状況のほか、当時はディスコ・ブームが最高潮を迎え、この時期に活動が低調になった過去の大物バンドは少なくありませんでした。78年の本アルバム『ホット・ストリート』で再起を印象付けたシカゴでしたが、80年前後においては、時代的に、このような憂き目に遭いつつありました。

そのせいか、本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』には、『シカゴ13』、『シカゴXIV』からの選曲が一切なされていません。

06
LOVE ME TOMORROW (Single Version)
ラヴ・ミー・トゥモロウ (シングル・バージョン)

PETER CETERA DAVID FOSTER

 82年、『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』収録。

この曲は、"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"の起死回生の大ヒットの余勢をかって、シングル・カットされ、スマッシュ・ヒットを記録します。

自分がいなくて寂しい思いをしている彼女。それをよく分かっている主人公。彼女は言います。≪今日みたいに明日も愛して≫と。互いに強い想いで結ばれているにもかかわらず、全体を包む暗澹たる曲調に、別れの曲?という連想も働いてしまいそうな曲です。いつもは優男振りを発揮するピーターですが、この曲では、不安な彼女側の心理に立って、物語を進めています。その点は非常に珍しいのではないでしょうか。

なお、本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』には、97年に日本で発売された『ハート・オブ・シカゴ 1982〜1997』(赤盤)と同じく、シングル・バージョンが収められています。2分42秒以降の間奏が省略されていること、ギターの音が強調されていること、1分49秒過ぎのコーラスが多少異なっていること、などに特徴があります。

07
HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY
素直になれなくて〜ゲット・アウェイ
PETER CETERA DAVID FOSTER
(GET AWAY〜PETER CETERA DAVID FOSTER ROBERT LAMM)

 82年、『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』収録。

シカゴというバンド名は知らなくても、この"素直になれなくて"のメロディを聴いたことがある方は多いのではないでしょうか。とくに近年では、車や化粧品のCMでも頻繁に流れていたので、ご記憶あるかと思われます。

また、この美しいバラードは、バンドにとっても非常に大きな意味を持つ曲となりました。

77年11月、シカゴは、金銭面・製作面での亀裂から、プロデューサーのジェイムズ・ウィリアム・ガルシオを解雇。さらには、翌78年1月、バンド結成の当初から中心的な役割を果たしてきた、テリー・キャスを拳銃の暴発事故のために喪失。歯車が狂ったシカゴは、ここから急激に失速し、いわゆる冬の時代を迎えます・・・。とくに79年から81年にかけての活動状況の低調さには目を覆うものがありました。

そんな中で、シカゴは82年、アルバム『ラヴ・ミー・トゥモロウ(シカゴ16)』のプロデュースを、のちに名プロデューサーとして名を馳せる、デヴィッド・フォスターに託し、また、新メンバーとしてビル・チャンプリンを迎え入れます。この新風が功を奏し、アルバムは久々に好成績を収めます。

そして、その復活の原動力となった、この"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"は76年の"IF YOU LEAVE ME NOW"以来、実に6年振りの全米NO.1を獲得し、4枚目のミリオン・セラーとなります。

曲は、恋人から別れを告げられるが素直には受け入れられない男の話です。しかも、≪自分から「ごめんね」とは言えない≫、ちょっとばかしカッコ付けした主人公像が描かれています。

Q&A 歌詞に関する疑問

08
STAY THE NIGHT
ステイ・ザ・ナイト

PETER CETERA DAVID FOSTER

 84年、『シカゴ17』収録。

当時中学3年生だった私が最初に接したシカゴ。

その前に"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"くらいは聴いたことがあったのかもしれませんが、そのときは誰が歌っているのかさえ気にも留めなかったというくらいの認識度です。

とにかく、ラジオから聴こえてきたこの"STAY THE NIGHT"のイントロにあるガラスが割れるようなシンセの響きは未だに忘れることができません。

しかも、当時はMTVが大流行し始め、テレビで何度もこの曲のプロモーション・ビデオを目にしました。その内容の面白さにも単純に惹かれていました。

しかし、このときは、今の今までシカゴを聴き続け、ましてや、自分でウェブサイトを開設するに至るなんて、粒ほども考えていませんでした。

ちなみに、そのビデオに出てくるメンバー個々の顔ぶれも当時はまったく区別がつかず、塗装工に扮したビル・チャンプリンにしても、最初はコミカルなおじさんくらいにしか思っていませんでした・・・。

さて、曲の内容は、有無を言わさず、≪今夜は泊まっていきな。キミと一緒に過ごしたいんだ≫というもの。ピーターがかつて"IF YOU LEAVE ME NOW"で見せた優男振りは微塵もなく、かなり強引な主人公が登場します。

曲調も、ピーター自身が近年傾倒していたバラードというよりは、『8』の"HIDEAWAY"や、『14』の"HOLD ON"で見せたハード・ドライビング路線を継承しています。

09
HARD HABIT TO BREAK
忘れ得ぬ君に
STEVE KIPNER JOHN PARKER

 84年、『シカゴ17』収録。

"STAY THE NIGHT"でシカゴを知った私にとって衝撃的だったのが、この曲。

84年の秋口から、例のソフト・フォーカスを利かせたビデオ・クリップの映像とともに猛烈な勢いでチャートを駆け上がってきた光景は未だに明確に脳裏に焼き付いています。

いつまでも自分のそばにいてくれるもんだと思っていた主人公が、彼女に去られ、≪キミなしの人生に慣れるのは大変だ≫、≪僕はキミに首ったけだったんだ≫、≪キミは断ちがたい習慣なんだよ≫と哀しく振り返る内容。

≪hard habit to break≫とは、このように疑いのないほどに当然なもの、あるいは、失ってはじめてその必要性を認識させられる事柄を指すのでしょう。映画などの台詞ではよく使われるフレーズでもあります。

この曲でもお分かりいただけるように、シカゴは複数ヴォーカル体制のグループです。ここでは、ピーター・セテラとビル・チャンプリンの織り成す哀愁を帯びた歌唱が印象的で、とくに後半のドラマティックな展開はひときわ感動的です。

10
YOU'RE THE INSPIRATION
君こそすべて
PETER CETERA DAVID FOSTER

 84年、『シカゴ17』収録。

"HARD HABIT TO BREAK"の大ヒットで、今後も連続してシングル・ヒットが生み出される予感のしたシカゴ。

その予感は見事的中し、アルバムから3曲目のシングルである本曲も、あれよあれよという間にチャートを駆け上ります。ビルボード誌上では、マドンナの"ライク・ア・ヴァージン"、ジャック・ワグナーの"オール・アイ・ニード"(好きだったなあ〜)、フォリナーの"アイ・ウォナ・ノウ"に阻まれて、惜しくも2週間第3位を記録するにとどまりましたが、小林克也さんでおなじみの「ベスト・ヒットUSA」の基盤となるラジオ&レコーズでは堂々の第1位を獲得しています。

内容は、永遠の愛を定め付けられた2人の物語。≪どこにいてもキミのことが頭から離れない≫、≪キミは励ましとなる人≫といった純粋な気持ちが表れています。

ところで、すでに伊藤秀世さんが指摘されておられるように、アルバム『シカゴ17』に収録されたこの曲のLPバージョンには、2分42秒のところにギター・フレーズがありましたが、CD化の際にはなぜかそれが省略されてしまいました。LPバージョンが収録されているものをざっと挙げますと、『ハート・オブ・シカゴ』(89年。いわゆる日本初考案のハート・オブ・シカゴ)、『20』、『23』、『ハート・オブ・シカゴ 1982〜1997』(97年。赤盤)、そして、2002年に発売された27作目『シカゴ・コンプリート・ベスト』などがあります。この中では、音源がリマスターされている、この『シカゴ・コンプリート・ベスト』をお求めいただくのが一番だと思います。

また、曲の最後、フェイド・アウトしていく部分の歌詞も、『シカゴ・コンプリート・ベスト』ではちゃんと記載されています。

ちなみに、ピーターは、この曲を自己のアルバム『愛ある別れ〜ピーター・セテラ・ベスト・コレクション』(YOU'RE THE INSPIRATION: A COLLECTION)でセルフ・カバーしています。アコースティックとボサノヴァを織り交ぜたような心地良い仕上がりは感動的です。なぜか夏の海辺を思わせます。

また、このカバー曲はAZ YETと組んでシングル・カットされ、97年10月25日から11月1日にかけて第77位を記録します。久々にピーターの名前がチャートに現れた瞬間でもありました(『ワン・クリア・ヴォイス』または『愛ある別れ〜ピーター・セテラ・ベスト・コレクション』の欧州盤参照)。

11
ALONG COMES A WOMAN (Single Version)
いかした彼女 (シングル・バージョン)

PETER CETERA MARK GOLDENBERG

 84年、『シカゴ17』収録。

ひとりぼっちの男の前に、彼女が現れ、恋に落ちる話。

作曲面で気付くのは、ひとりぼっちのときも、彼女といるときも、≪Nothin' seemed to matter≫、≪Can't explain somethin' that you're feelin' for the very first time≫というフレーズが使われている点。つまり、その両方のシチュエーションにおいては、≪他のことはどうでもいい!≫、≪はじめてのことだからどんな気持ちかなんて説明できない!≫という心理状態になるというのです。なるほど、うまいところを突いたなあ、と思いました。

本曲のプロモーション・ビデオは、名画『カサブランカ』をモチーフとしているものの、あらすじはまったく異なると言っていいでしょう。だいたい、ピーター演じるハンフリー・ボガートがジャングルの中を追いかけられて泥沼に隠れるなんてシーンはありません(笑)。どうもいくつかの映画が混成して出来ているようです。どうせなら、ピーターの「君の瞳に乾杯!」なんて言葉があってもよかったかな、と!?

さて、本作収録曲は、アルバム・バージョンよりやや短めのシングル・バージョンです。とくにギターの反響音が強調されている点に違いがあります。共作者のマーク・ゴールデンバーグはギタリストですが、アルバム・バージョン、シングル・バージョンともに、ギターまで担当しているのかはよく分かりません。

なお、98年に日本で発売された『ハート・オブ・シカゴ 1982〜1998 II』(黄盤)では、この曲のダンス・ミックスを楽しむことができます。

12
WILL YOU STILL LOVE ME ? (Single Version)
スティル・ラヴ・ミー (シングル・バージョン)
DAVID FOSTER TOM KEANE RICHARD BASKIN

 86年、『シカゴ18』収録。

85年のピーター・セテラ脱退劇に少なからず動揺したファンも多かったことでしょう。例に漏れず、このときの私は、ひたすらショックで打ちのめされていたのでした。「ソロでもグループでもぜひ頑張って欲しい!」と願うのが精一杯だったような気がします。

ところが、ピーターの方は、ソロ・アーティストとしてのキャリアを着実に重ねていくのに対して、グループとしてのシカゴはややとり残されていく感がありました。

そんな中で、シカゴの方も、新たな血路を開くべく、オーディションで、若いが経験豊富なベーシスト、ジェイソン・シェフを採用します。

そして、このジェイスンを迎えた新生シカゴは、ピーターのソロ・ヒット"GLORY OF LOVE"がNO.1を記録して、トップ10圏外に落ちた86年8月に、なんと自らの大ヒット曲"長い夜"のセルフ・リメイクをアルバム『シカゴ18』の先行シングルとしてカットします。この新"長い夜"は初登場第81位と比較的下位でしたが、それでも、その週のホット・ショット・デビュー(その週の初登場曲の中で一番上位の曲)でしたから、ファンの期待は大きかったと言えるでしょう。

しかし、新"長い夜"は、ものすごい勢いでトップ40近辺まで駆け上がってきたにもかかわらず、突如として、第48位でその勢いがバッタリと止まってしまいます。実に不思議でした。「来週は、来週は・・・」と待ち続けたものの、結局、その第48位に3週間もとどまる異様な結果に終わります。これはショックでした。「ファンの期待に乗ってはじめは調子良かったが、途中でそのファン自身が曲の内容にガッカリしたのでは?」と思ってしまったからです。このチャート成績には正直「あ〜、まずいなあ〜」という印象を持ちました。

一方、ピーターの方は、エイミー・グラントとのデュエット"THE NEXT TIME I FALL"をその年の暮れに再び全米NO.1ヒットに押し上げます。このピーターの活躍振りはまさに目を見張るものがありました。

一方、このような経過から、グループとしてのシカゴにますます危機感を抱いた人も少なくなかったはずです。

しかし、新"長い夜"でコケた後のシカゴの立て直しも結果的には速かったのです。直後の10月に、本曲"WILL YOU STILL LOVE ME ?"をシングル・カットしたわけです。

ところが、これがまた異様なまでのスロー・ペースでした。当時としては決して珍しくはなかったのですが、上位に行くまではかなりの時間を要しました。じわっじわっと上がり、年を越した87年2月、もはや忘れようかというときに、トップ10内に入ります。しかし、面白いことに、この上位に来て急に加速し始めるのです。あれよという間に堂々の第3位を記録します。このときの第1位はボン・ジョヴィの"リヴィン・オン・ア・プレーヤー"で、当時の彼らには太刀打ちできる術もありませんでしたが、本当にホッとしたことだけ妙に記憶に残っています。また、プロモーション・ビデオの製作(ないし国内搬入)も遅れていまして、もはや「作らないのかな?」と思ったくらいで、非常にヤキモキさせられました。

≪ありのままの自分を受け入れて欲しい≫、≪2人の心は運命で結び付けられている≫、≪キミの残りの人生中、僕を愛していると言っておくれ≫、≪1人じゃ生きて行けないんだ≫と、歌詞も分かりやすく、とても感動的な歌でした。

ジェイソンのヴォーカルは、嫌でもピーターと比較してしまうところですが、今改めて思うと、当時は間伸びして聴こえた声も、とても広がりのある大らかなボーカルだということに気付きます。出だしのかすれた感じなどは当時弱冠24歳とは思えないささやき方、テクニックです。

後半のビル・チャンプリンとのダイナミックな掛け合いはとても力強く、この頃流行り出したいわゆるパワー・バラード路線を地で行きます。

この曲のヒットを契機にして、シカゴはさらにシングル・ヒットを連発することになります。その意味では、"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"あるいは遠く"ALIVE AGAIN"に通じる起死回生的な楽曲となりました(と思う)。

本作『27』では、幻想的なイントロが全くカットされていますが、ぜひともオリジナルのフル・バージョン(『シカゴ18』、『グレイテスト・ヒッツ 1982-1989』などに収録)で聴いていただきたい名曲です。

13
IF SHE WOULD HAVE BEEN FAITHFUL...
フェイスフル
STEVE KIPNER RANDY GOODRUM

 86年、『シカゴ18』収録。

"WILL YOU STILL LOVE ME ?"という新生シカゴにとっては記念碑的なヒットに続き、本曲"IF SHE WOULD HAVE BEEN FAITHFUL..."はシングル・カットされ、スマッシュ・ヒットを記録します。この曲は、残念ながらプロモーション・ビデオが作られなかったため、やや地味なヒットに映っていたように思います。

彼女には他の恋人がいて、裏切りの恋を経験する主人公。≪彼女が誠実だったら≫、こんなことにならなかっただろうに・・・という強烈な衝撃を受けた男の気持ちを描写しています。しかし、ジェイソンとビルの織り成すパワフルなボーカルにより、そういった心情を切々と語るのではなく、力強く叫んでいるところが本曲の特徴と言えそうです。

後半にある、≪皮肉なことに、勝つために負けなければならない≫という一節。あらためて言葉で説明するのも野暮ですが、この主人公は、去り際は男らしく格好をつけて、“キミを振ったのは僕の方なんだ”的な体裁を整えようとしています。愛とはなんぞやを嫌でも分からせてくれた≪彼女にも感謝しよう≫。そして、最後に、やっぱりというべきか、≪何と言う逆説で、矛盾に富んでいるんだろう!≫と結びます。今までのシカゴでもそうそうない非情の哀歌と見ることができそうです。

ところで、『シカゴ18』では、3曲目がこの"IF SHE WOULD HAVE BEEN FAITHFUL..."、4曲目が"25 OR 6 TO 4"のセルフ・リメイクの順となっており、この流れに親しんでいる私は、"IF SHE WOULD HAVE BEEN FAITHFUL..."の末尾のエコーが終わると同時に、新"25 OR 6 TO 4"のあの♪デンデケデンデン、デンデンというドラム・イントロが条件反射的に思い浮かんでしまいます。

14
LOOK AWAY (Single Version)
ルック・アウェイ (シングル・バージョン)
DIANE WARREN

 88年、『シカゴ19』収録。

"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"の成功で第一線への復帰を見事に成し遂げたシカゴは、アルバム16作目から19作目にかけて、放つシングルが次々とチャートの上位に名を連ねるようになり、いわば、シングルを中心とする、第2次黄金期を迎えます。

その極めつけとなったのが、ここに挙げる"LOOK AWAY"です。同曲は"HARD TO SAY I'M SORRY / GET AWAY"以来6年振りの全米NO.1を獲得するどころか、なんと89年のビルボード年間チャートでも堂々の第1位を記録します(詳しくはこちら)。結果的に、19作目『シカゴ19』はシングル・ヒットを5曲も輩出し、シカゴの歴史の中で最大のチャート成績を残すことになります。

さて、内容ですが、これは作者であるダイアン・ウォーレンの友人のエピソードが元になっています。その友人は離婚していたのですが、別れた前夫に「次の結婚相手がもう見つかった」旨の報告をしたそうなんです。その現場を近くで見ていたダイアンは、「これは絶対、曲になるっ!」と感じ、この話を男の立場から書き上げたのがこの"LOOK AWAY"だということです。

このようなLOOK AWAY"を見事に歌い上げているのがビル・チャンプリンです。オリジナル・メンバーのロバート・ラムも「彼ならではのヴォーカルをここで確立した」と称賛しています。

本当は、≪僕が通り過ぎてもそっぽを向いていておくれ。目に涙がたまっていても行き過ぎておくれ≫と、“別れても好きな人”的だがやはり“元には戻れない”的な複雑な思いを語っている曲なので、もっと繊細に、かつ、叙情的に歌った方がいいのかもしれません。でも、ここでのビルの熱唱は妙にマッチしています。最後にある、≪僕は本当にハッピーに思ってる≫という男の意地らしさを気力を振り絞って表現しているところなんか、本当にそう思います。このような熱い情感を託したボーカルはビル以外には考えられません。大人の恋を歌わせたら、シカゴ随一でしょうね。

ところで、本作収録のバージョンはシングル・バージョンなのですが、非常に細部の違いのようです。

(参考文献:『ビルボード・ベスト・オブ・ベスト』)

15
WHAT KIND OF MAN WOULD I BE ? (Single Version)
ホワット・カインド・オブ・マン (シングル・バージョン)
JASON SCHEFF CHAS SANDFORD BOBBY CALDWELL

 88年、『シカゴ19』収録。

 89年、『グレイテスト・ヒッツ 1982-1989』収録。

前作『シカゴ18』でのヒット・シングルに続き、ジェイソン・シェフがリード・ヴォーカルをとる作品。

うつろな日々を過ごす主人公がその脱出口を求め、彼女に尋ねます。 ≪何の意味もない人生を生きるために、僕がどんな男になればいいか言ってほしい≫、≪キミはひとりで生きていけるけど、僕がキミなしで生きなければならないとしたら・・・≫と。ジェイソンが歌うと、その力強いヴォーカル・スタイルから、女々しい感じは受けません。しかし、少し間延びした、まろやかなハイ・トーン・ヴォーカルなので、どこかしら甘えん坊的な印象を受けます。

なお、本曲は、面白いことに、初出アルバム『シカゴ19』ではなく、次作の『グレイテスト・ヒッツ 1982-1989』(89年)からのシングル・カットという形でヒットし、翌90年2月に最高位第5位を記録するビッグ・ヒットになります。しかも、それはシングル・バージョンでして、間奏のギター・フレーズがオリジナルの『シカゴ19』バージョンとは異なるなど、多少の修正が施されていました。

このような経緯を経ましたが、アルバム『シカゴ19』からは、結局、過去最高の5枚というシングル・ヒットが生み出されたことになります(※なお、ファースト・アルバム『シカゴの軌跡』からは、"QUESTIONS 67 AND 68"が2度チャート・インを果たしており、のべ5曲を輩出したことになりますが、同曲は1曲としてカウントしたいと思います)。

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I DON'T WANNA LIVE WITHOUT YOUR LOVE
リヴ・ウィズアウト・ユア・ラヴ
DIANE WARREN ALBERT HAMMOND

 88年、『シカゴ19』収録。

88年6月のアルバム『シカゴ19』のリリースに先駆けて、5月にシングル・カットされた曲です。

シングル・カット当時、日本では、この曲のビデオ・クリップを観ることはほとんどなかったと言っていいでしょう。一応は製作されたのですが、なぜか放映の機会に恵まれなかったのです。

ビデオの内容は、コンピューター・グラフィックの画をバックに男女が踊り、シカゴの面々がタキシード姿で歌い添える、という何とも言えないものでした。それが赤面を強いたのかどうかは分かりませんが、ワーナーから発売されたビデオ・クリップ集『ハート・オブ・シカゴ ザ・ビデオ〜素直になれなくて〜』にも収録されませんでした(2005年4月にDVD化されましたが、収録内容はVHSと同一で、やはり本曲のビデオ・クリップは含まれていません)。

とにかく、ビデオ・クリップを観なかったせいか、シングル自体は、じりっじりっと地味に上がって来た印象があります。その結果最高位第3位まで来るとは正直夢にも思いませんでした。アルバムからのファースト・シングルであるにもかかわらず、また、その高順位にもかかわらず、ファンの中にはかなり印象の薄い方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ダイアン・ウォーレンとともに、共作者として名を連ねているのは、あのアルバート・ハモンド。オールド・ファンには涙モノの"カリフォルニアの青い空"や"落葉のコンチェルト"などで知られるハモンドは、以降はもっぱらソングライターとして活躍し、後年87年に至り、ダイアンとのコンビで、スターシップの大ヒット"愛はとまらない"を生み出します。それ以来のコンビ・ペンによるヒットとなるのが本曲"I DON'T WANNA LIVE WITHOUT YOUR LOVE"です。

別々の生活をしてもやっていけると思っていたけれど、やはり、≪キミの愛なしじゃ生きていけない≫という内容。

歌詞を眺めると、サビで≪I don't wanna〜≫、中盤で≪Guess I had to〜≫という言葉がおそらく意識的に繰り返されていることに気付きます。

ビル・チャンプリンのヴォーカルは力強く、本当に≪キミの愛なしじゃ生きていけない≫のか、不思議に思うくらいですが、「大人の恋を歌わせたら一番!」と私が勝手に考えるビルならではのヴォーカル・スタイルと言うべきでしょうね。

17
WE CAN LAST FOREVER (Single Version)
ウィ・キャン・ラスト・フォーエヴァー (シングル・バージョン)

JASON SCHEFF JOHN DEXTER

 88年、『シカゴ19』収録。

≪行かないで≫、≪言いたいことがあるんだ≫、≪僕が必要としてるのはキミだけなんだよ≫、≪僕たちは永遠に続くのさ≫という歌詞。

相手の心情が書かれていないので、読み切れませんが、≪Don't turn away≫、≪Don't walk away≫というフレーズからすると、別れしなに男の側から発した愛のメッセージなのでしょうか。

共作という形ですが、ジェイソンが関わった作品がシングル・カットされるのは本作が初めてです。

ジェイソンの作風は、まだよく把握できていませんが、韻にはそれほどこだわらず、しかも、日本語にはすぐには訳しづらい表現を用いる印象を受けました。ですが、1番と2番の段落分けを明確に保持し、サビもハッキリしています。この辺に従来のシカゴらしさを感じることもできます。

なお、本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』に収録されているのはシングル・バージョンだということですが、音響素人の僕には違いがよく分かりません・・・。ただ、さる方からメールをいただいたのを契機によく聴き直してみました。すると、全体的に音量レベルを上げたのか、イントロのシンセなどが大幅に派手になっていることに気付きました。ジェイソンの息使いもすぐそばにいるように感じられます。キッカケを提供してくださった御方には、ぜひこの場を借りて感謝申しあげたいと思っています!

18
YOU'RE NOT ALONE (Single Version)
ユー・アー・ノット・アローン (シングル・バージョン)
JIM SCOTT

 88年、『シカゴ19』収録。

作者のジム・スコットという人物は不勉強ながら存じ上げません。まさか、40年代からジャズ・シンガーとして活躍しているジミー・スコット(JIMMY SCOTT)と同一人物ではないでしょうけれど・・・、とにかく、よく分かりませんでした。

しかし、本曲の作者であるジム・スコットの作詞スタイルには、とても興味深いものがあります。≪spotlight≫、 ≪darkness≫、≪wings≫といった象徴的な事象を用いて、人間の感情の起伏を表現しているのです。

失恋の痛手を負う主人公に対して、≪キミは独りじゃない。キミのハートがみずみずしくて自由なうちは独りじゃないんだ≫と、キミ次第で立ち直れるんだよ、と諭(さと)します。

もっとも、≪キミは独りじゃない。だから、電話を取って、僕に話し掛けてこいよ!≫と、一転して≪電話≫という現実的なアイテムを持ち出してくるので、その辺のギャップに面食らいます。もしかして、悲しみに打ちひしがれている主人公を現実の世界に引き戻そうとしているのでしょうか。

ともあれ、傷ついた友達を励ます点では、サイモンとガーファンクルの"明日に架ける橋"、キャロル・キングの"きみの友だち"などに通じるものがあります。

本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』に収録されているのは、シングル・バージョン。いきなり出だしに、『19』バージョンにはなかったギターの音色が聴こえてきます。しかも、この曲も録音レベルが大きくなっているようです。もっとも、シンプルな『19』バージョンの方にも耳を傾けていただきたいところです。

19
CHASIN' THE WIND
チェイシン・ザ・ウィンド
DIANE WARREN

 91年、『21』収録。

前作『グレイテスト・ヒッツ 1982-1989』がベスト盤だったため、その前作となる『シカゴ19』に引き続き、この『21』でもライター陣に名を連ねることとなったダイアン・ウォーレンの作品。

リード・ヴォーカルはビル・チャンプリン。シカゴにしてはコーラス的色彩が薄いのですが、後半にはしっかりブラスが利いているので安心します。

さて、作者ダイアン・ウォーレンは女性ですが、ビルが歌ってるので、男を主人公に据えたいと思います。すると、内容は、精一杯キミをものにしようと頑張ったが、結局はダメだった、という感じでしょうか。≪キミに関心を持ってもらおうとしてもムダ。勝ち目なんて全くない。(キミを手に入れようとすることは)まるで風を追い駆けているようなものさ・・・≫と開き直りとも冷笑とも言える主人公の言葉。本当はせつないのでしょうけれど、ビルが歌うと、立ち直りも案外早そうに思います。これが歌い手も女性だったら、もっとサバサバしていたりして・・・。

一方、グループとしてのシカゴは、この"CHASIN' THE WIND"(91年。第39位)のスマッシュ・ヒットの後、"HERE IN MY HEART"(97年。第59位)がチャートに顔を出したきりです。以降は、永らくトップ40ヒットを放っていません。それどころか、HOT100にさえ姿を現さなくなりました。これはいかにもさびしいです。アダルト・コンテンポラリー・チャートでは好成績を残しますが、一般のチャートから遠ざかって久しいです。

その諸因として、80年代後半から台頭したラップやヒップ・ホップがチャートを席巻したこと、CD購入層がシカゴを知らない世代まで若年化したことなど、さまざまな事象が挙げられそうです。「シカゴは飽きられたのか?」、ふとそんな言葉も頭をかすめますが、なんの、なんの。若い方に聴いてもらっても、「全然良いですよ!」と言ってくださるし、CMなどでもかなりの反響があるようです。

60年代、70年代、80年代、90年代とそれぞれチャート入りを果たしてきたシカゴ。00年代も大いに期待していますよ!!

20
SING, SING, SING
シング・シング・シング
LOUIS PRIMA

 95年、『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』収録。

ルイス・プリマ作詞・作曲の1936年の作品。

この曲には、あのジプシー・キングスがゲスト・ヴォーカルとして参加しています。もっとも、その実は、プロデューサーであった故ブルース・フェアバーンがわざわざ彼らの居住するフランスにまで足を運んでトラック撮りをした模様。

なお、初出『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』のブックレットには、このジプシー・キングスによるスペイン語の歌詞が記載されていませんでした。しかし、27作目の本作『シカゴ・コンプリート・ベスト』(国内盤)にはこれがバッチリ掲載されています。意味は、英詩と同じく、≪みんなで歌おう!≫という歌詞が大半を占めています。