ディスコグラフィ   シカゴ(08)

CHICAGO VIII (1975/3)
CHICAGO

曲目 未だ見ぬアメリカ(シカゴVIII)
シカゴ
総評

試聴♪

Produced by JAMES WILLIAM GUERCIO

曲目
01 ANYWAY YOU WANT 高鳴る心
02 BRAND NEW LOVE AFFAIR PART I & II 明日のラヴ・アフェア
03 NEVER BEEN IN LOVE BEFORE 愛することの素晴しさ
04 HIDEAWAY 逃亡者
05 TILL WE MEET AGAIN 今度逢うまで
06 HARRY TRUMAN 拝啓トルーマン大統領
07 OH, THANK YOU GREAT SPIRIT 安らぎの朝の光
08 LONG TIME NO SEE 君は負け犬
09 AIN'T IT BLUE ? 淋しくなんかないさ
10 OLD DAYS 追憶の日々

<ライノ再発盤ボーナス・トラック>

11 SIXTH SENSE (Rehearsal) シックス・センス (リハーサル)
12 BRIGHT EYES (Rehearsal) ブライト・アイズ (リハーサル)
13 SATIN DOLL (Live,1974) サテン・ドール (ライヴ)
総評

ベトナム戦争の傷も癒えぬアメリカでは、70年代中期に懐古主義的な風潮に見舞われます。この時期、古き良きものへのあこがれからか、音楽シーンでもカントリー系など素朴な歌や典型的なラヴ・ソングがチャート上をにぎわすようにもなりました。なんとなく、91年の湾岸戦争後にカントリーが強くなったことと相通じるものがあります。本アルバムにも、このような時代背景が色濃く反映されているとみていいでしょう。

一方、変わらぬのは、アルバムのジャケット・デザイン。かなり手が込んでいます。本作では、光り輝く糸を用いた鮮やかな刺繍が施されていました。モチーフの鳥は、北米産の紅冠鳥(カージナル)です。

とにかく、私はこのアルバムを大変気に入ってます。もしかしたら、一番CDプレーヤーに乗ってるかもしれません。何とも言えないノスタルジックな雰囲気に魅せられているようです。


ただ、95年に発売された、雑誌『THE DIG』(No.4)の中で、ロバート・ラムが、このアルバムについて気になることを述べています。「
僕らはこの頃疲れ果てていて、創造力も明らかに低下していた。外部のソングライターに曲を依頼して作りあげ、それなりにアルバムはヒットしたが、自分たちにとっては成功したとは言い難い。僕らのファンも、きっと同じ意見だと思う」、と。

たしかに、1年の大半をツアーに費やし、帰ってくればニュー・アルバムの製作・・・。そんな毎日は、想像以上に本人たちに疲労困憊を強いるでしょう。

しかし、後追い世代の私にとっては、決してそうとは思われない、質の高い、印象のある、名作に映っています。メンバー本人たちがいかに思おうと、「良い物は良い。この作品を過少評価する必要性は全くない」と胸を張って、この『未だ見ぬアメリカ(シカゴVIII)』を推奨したいと思っています。

もっとも、上記ロバートのコメントの中で示唆された“外部依頼”の曲が何であるのか、また、曲の全部なのか一部なのか、など詳細はまったく不明です。但し、ロバートの文章は特徴のある短文構成なので、前後の文脈や周囲の状況を把握せずに、これをそのまま直訳すると、本人の伝えたいことが十分に伝わらない場合もあります。


なお、本作からは、前々作『6』からサブ的に参加していたブラジル人パーカッショニスト、ラウヂール・ヂ・オリヴェイラが正式にメンバーに迎え入れられ、シカゴは8人編成となります。

01

ANYWAY YOU WANT
高鳴る心

PETER CETERA

通算8作目の本アルバムにおいて、はじめてピーターの作品が冒頭を飾ることになります。

まずは、出だしのテンポの良いピアノ・イントロ。あの"SATURDAY IN THE PARK"ばりの軽快なリズムを叩き出しています。

ボーカルのピーターは、意識してか、かなり曖昧な発音で歌い上げます。途中、≪Know that I love you, Know that I need you≫という部分は、一瞬、誰の声?かと思いますが、ピーターが喉がつぶれそうなくらいのしゃくれ声全開でシャウトしているのです。そうなのです、この曲は、もやもやした歌い方と、シャウトしている部分の対比が面白いのです。

≪とにかく、俺のことが欲しいんだろ?俺は一向に構わないぜ!≫。だって、≪どうせ俺がキミのこと好きなの、知ってるんだろ!≫。そんなニュアンスの歌ではないでしょうか。お互い惹かれ合っていることは百も承知なのに、いまだ着きつ離れずいる微妙な心理状態。しかし、同時に、それでいて、どことなくそれを楽しんでいるような若い2人。“高鳴る心”とはよく付けたものです。それにしても、当時の邦題センスは素晴らしいですよね。恋をするときはこういうときが一番楽しいんだ、ということを歌ってるようにも思えました。

曲自体は、『6』、『7』で垣間見れたファンク的要素を継承しつつ、ブラスもガンガン鳴っていますし、ダニーのドラムも要所要所で効果的に顔を出します。最後には、テリーのグイン、グイン唸るギターも聴けます。その時代の音楽傾向を反映しつつも、さすがにシカゴだなあ〜と、感じさせてくれる曲です。もっとも、デビュー初期から接していたファンにとっては、ポップに流れているイメージが拭えなかったかもしれませんが。

大変ノリのいい曲ですので、当時のコンサートでも頻繁にオープニング・ナンバーに起用されていたようです。

02
BRAND NEW LOVE AFFAIR PART I & II
明日のラヴ・アフェア

JAMES PANKOW

テリー・キャスというと、どうなんでしょう、野太い声、超人的な演奏法から、多くの方が過激路線とかアヴァンギャルドな作風をイメージするように思うのですが、よく聴いてみれば、そんなことはないですよね。少なくとも、単なる彼の一面にすぎないように思われます。むしろ、ロバートの歌詞の方が事実の摘示による深刻な内容だったりします。

ヴォーカル・スタイルにおいても、実は、テリーのそれは、心に深く染み渡る、ハートフルで、人間味のあるものとなっています。それは、『02』の"MEMORIES OF LOVE"などにもよく表れていたので、ご理解いただけるかと思います。

この"明日のラヴ・アフェア"という曲は、いきなり、のちのAOR音楽を彷彿とさせるメランコリックなオルガン・イントロで始まり、テリーの心の奥底から涌き出てくるソウルフルで温かいボーカルが続きます。

テリーのハードさを念頭に持つ方にとっては意外でもあり、軟弱的な印象をも抱いたかもしれませんが、上記の"MEMORIES OF LOVE"ような初期の曲から、また、『5』の"ALMA MATER"、さらには、後年『10』の"HOPE FOR LOVE"のようなラヴ・バラードは、テリーの優れた一面でもあるのです。当然のようにギター・テクニックに目が奪われがちですが、このように深い声でロック・バラードを実に見事に歌い上げる人はそうはいないでしょう。

但し、本作の作者は、テリーではなく、ジェイムズ・パンコウです。≪互いに笑いあっていた日々から相当の時間が経ってしまった。二人が一人ぼっちでいることは良くないことだよ≫と、気付けば虚しい毎日を送る恋人たち。≪もう終わってしまったことなのか、それとも、再びやり直せることなのか≫。自問自答を繰り返しながら、≪a brand new love affair≫、つまり、≪真新しい恋事≫になることを期待しています。もちろん、相手は他でもないキミ。情熱みなぎるジミーならではのポジティブな歌詞ですね。

前半パート1では、パット・ウィリアムスによるストリングス・アレンジメントが絶妙のムードを演出してくれています(もっとも、このストリングス部分の録音は、シカゴの居たコロラドのカリブー・ランチではなく、ロサンジェルスで行われているようです)。

以上に対して、後半2分過ぎくらいから始まるアップ・テンポな部分がおそらく、パート2ということなのでしょう。ここでは、一転して、ピーターが力強いボーカルで、≪もう一度イチからやり直そう!≫と歌い上げて締めくくります。

03
NEVER BEEN IN LOVE BEFORE
愛することの素晴しさ

ROBERT LAMM

自分の殻に閉じこもってしまった主人公。そんな絶望の淵に立つ人間を生き返らせてくれた大切な女性(ひと)。彼女は、あらゆる感性を満たし、自信を回復させてくれる。その愛が嵩じて、もし別れ別れになったとしても、喜んでキミを自由にするよ、だって、キミの幸せが僕の幸せでもあるんだから・・・。そんな無私の愛が語られているようです。

加えて、≪今まで恋に落ちたことなんてなかった・・・≫、でも、≪僕が新しい生命を吹き込まれたのはまさにキミがいたせい≫。≪僕はできうる限り、キミのすべてになりたい≫。≪キミを愛するよ≫、なぜって、≪こんなに人を愛したことなんてなかったのだから・・・≫と、歌詞の綺麗さに感動する曲でもあります。

作者はロバート・ラム。"BEGINNINGS"や、"LOVE SONG"(本作『8』の前年の74年にリリースしたソロ・アルバム『SKINNY BOY』に収録)にみられる、叙情詩的なしっとりした作品です。

また、世紀をまたがって、2006年に製作された"HEAVEN IN MY EYES"(ロバートのボサノヴァ・プロジェクトに収録)にも、本曲のような切なさが表出されている点は、実に興味深いものがあります。

なお、歌詞のうち、従来、ロバートのオフィシャルでは≪hung out≫、シカゴのオフィシャルでは≪how among≫と記されていた部分が、今回のリマスター盤では、≪all about≫と修正されています。また、後半の歌詞も、≪May our light forever shine, May you always feel free≫という記載に変わっています。

ところで、この作品で忘れてはならないのは、ピーター・セテラの甘いヴォーカルでしょう。はじめは、ふさぎこんでいる主人公をブルー気味に、後半は、彼女に励まされて立ち直った主人公を力強く表現しており、その使い分けは見事としか言いようがありません。

演奏面でも、ピーターは最初のト、ロ、ロ、ロ、ローン、ロ、ロ、ロ、ローン♪という、何ともきらびやかなベース・ラインを披露しています。

また、≪I want to be everything that I can≫で始まる最終章(2分59秒)で見せる、ロバートのダイレクトな鍵盤打ちは、曲中、最大の緊張感を増す効果を果たしてくれています。

このように、歌詞と演奏が一体となって、メロウとタイトな気持ちを使い分けている感じがします。

ピーターにとって、この75年頃は、『6』、『7』で培った優男的ヴォーカル・スタイルが徐々に確立されて行く時期と言っていいのではないでしょうか。『10』の"MAMA MAMA"とともに、“シングルにならなかったが、大変お気に入りソング”の1つです。

“シカゴ史上最も美しい曲”。

そういった称号を与えるにふさわしい傑作だと思います。

04
HIDEAWAY
逃亡者

PETER CETERA

本アルバム『8』は、"BRAND NEW LOVE AFFAIR PART 1&2"、"NEVER BEEN IN LOVE BEFORE"のような甘美なバラードがあるかと思いきや、一方で、この"HIDEAWAY"に見られるようなハードなギター・プレイを含む曲も散見されます。その意味では、本作はポップとロックの両方の色彩を帯びたアルバムと言えるのではないでしょうか。

『3』の"FREE"(ロバート・ラム作)が、≪すべての苦しみから自由になりたい≫と叫んだことに呼応するかのように、ピーター・セテラ作のこの"HIDEAWAY"も、≪競争社会≫や≪都市のペース≫からの脱出を所望し、≪もっと空気が新鮮できれいな場所へ行こう≫と叫びます。その場所のことを形容して≪hideaway≫、すなわち、≪隠れ家≫と呼びます。ともすれば、現実の世界から目を覆い、あらゆるしがらみからの逃避を歌ったようにも映ります。これも、郷愁に流れるこの時代のアメリカを反映したものなのでしょうか・・・。

05
TILL WE MEET AGAIN
今度逢うまで

TERRY KATH

前曲"HIDEAWAY"から一転して、テリー自作自演のアコースティック・バラード。

冒頭の効果音は、ネジ巻き式の蓄音機、はたまた手動製のジュークボックスでしょうか。まさに、古き良き時代への想いを表現する小道具として、的確な役割を担っています。

≪恥ずかしがっている暇はないんだ。僕らの初めての夜も、もう明けようとしている。さあ、愛の炎を燃やそう。そして、それが燃え尽きるまで抱き合うんだ。最後に、さよならのキスをして、新たな愛へと旅立とう。僕らの愛は、また逢うときまでとっておこう≫。

つかの間の逢瀬を楽しむ2人。しかし、そこには猥雑ないやらしさはなく、純粋に2人の時間が貴重なさまをとうとうと歌い上げます。

わずか2分強という短い時間の中で、これだけロマンティシズムあふれる作風を完成させるのは至難の技ではないでしょうか。前人未到的なギター・テクニックを駆使するテリーの見せる、もう一面が、この奥深いヴォーカルの中に隠れています。

06
HARRY TRUMAN
拝啓トルーマン大統領
ROBERT LAMM

本アルバムの先行シングルとして、75年2月にリリースされた曲。本国では、第13位にまで上がるスマッシュ・ヒットを記録します。

シカゴがデビューした69年には、もはやベトナム戦争におけるアメリカ軍の劣勢と非行が誰の目にも明らかとなり、70年代に入ってからも、混迷と敗走を繰り返す、まさに泥沼の状態が続きます。

そのような時代背景の中、72年6月に、かのウォーターゲート事件が発生します。この事件は、ワシントンのウォーターゲート・ビル内にあった民主党全国委員会本部に侵入した賊(ぞく)が逮捕されたことに端を発し、その目的が盗聴装置を仕掛けることにあったこと、その賊と現職の大統領であった共和党のリチャード・ニクソンとの間につながりがあったこと、などが次第に明らかになるにつれ、一大政治スキャンダルとなった未曾有の疑獄事件です。

このウォーターゲート事件を起因として、72年のアメリカは政治不信一色と化します。そして、翌73年3月、ニクソン大統領はついにベトナム戦争の終結を宣言するも、その実は敗退であり、この戦争で失うものが多かったことから、アメリカ全土にわたって意気消沈したムードが漂います(なお、ウォーターゲート事件の顛末は、後年74年8月に、ニクソン大統領が辞任することで一応の決着をみます。その他、"リチャードと彼の友人達に捧げる歌"参照)。

このような政治不信と戦争敗退という疲弊の中、72年の12月に、第33代の大統領を務めたハリー・トルーマンが死去します。

トルーマンが政権についていたのは、早20年も昔のことだったのですが、俗物的な政争に嫌気のさした当時のアメリカ国民にしてみれば、ここで死去したトルーマンに対して特別な思いを抱いたようです。

では、そのような思いを抱かれるハリー・トルーマンとは、どのような人物であったのでしょうか?

乏しい知識の中から、歴史や人物評の難しさを覚悟しつつ、振り返ってみたいと思います。

1884年に生を受けたトルーマンは、高校を卒業後、数多くの仕事に従事しますが、その後も、家業の農家→従軍→商家といった様々な職歴を重ねます。30代半ばにして民主党に入党すると本格的に政治活動を始めるようになり、やがて地元のボスを後ろ盾にしたトルーマンは、ほぼ50歳にて上院議員に初当選を果たします。その後、1944年、ほぼ60歳で副大統領に選ばれ、翌45年4月に、現職のフランクリン・ルーズベルト大統領が急死すると、そのまま大統領に昇格します。

トルーマンの在任中の政策は、個人の自由(自由主義)を主軸としたものであり、第2次世界大戦の戦後処理を進めるにあたっても、徹底した反共体制を敷いたことで知られています。

そして、何より、その言動がとても印象深い人物だったようです。トルーマンを評するときによく使われる言葉は、≪blunt=ぶっきらぼうな≫、≪plain-spoken=遠慮のない≫、などで、つまりは、無愛想で率直な物言いをする人だったようです。

また、高校時代はアルバイトをしながら通学していた、大学を出てない、様々な職業を経た、など、いわば苦労人が頑張って大統領までのぼりつめた、ということで、まさにアメリカン・ドリームの体現者でもあったわけです。

このような人物が、政治不信に揺れる72年の12月に死去したことに伴い、次第にアメリカでは、トルーマンのように率直な発言のできる政治家を思い偲ぶようになったのかもしれません。

そこで、ロバート・ラム作の本曲"拝啓トルーマン大統領"の歌詞を見てみると、たしかに、≪speak your mind in plain and simple ways=分かりやすく、簡単にお考えを述べてください≫、≪call a spade a spade=率直におっしゃてください≫、といった言葉が並びます。

そして、冒頭は、≪America needs you, Harry Truman≫、≪Harry, colud you please come home ?≫、と呼び掛けるように始まり、国内の停滞の様子を洗いざらい告白します(なお、ニクソンの辞職後も、共和党のフォードが大統領(在位74年〜77年)になるだけで、ベトナム戦争の戦後処理、深刻なインフレによる失業者の増大といった社会問題の多くはなお未解決のままでした)。

つまり、75年に発表されたこの曲は、政治不信に見舞われ、実質的敗戦に疲弊したここ数年のアメリカを憂い、“今こそあなたのような政治家が必要なんだ”という曲と見ていいでしょう。また、ロバート自身、熱心な民主党支持者であったことから、“反ニクソン、是トルーマン”という構図にも肯けるものがあります。

ところが、一方で、このトルーマン大統領は、日本への原爆投下を最終的に決定した張本人であるために、広島のファンからその点についての指摘があり、これを受けて、シカゴ・サイドは、以降のプロモーションを中止するに至ります。

戦後、トルーマンは、原爆投下のやむなきに至ったことについて、弁明に努めています。自伝でも、「原爆投下によりアメリカ兵50万人が救われた」と記しています。その後も、多くの識者の間で、これを擁護する論調が展開され、やがて形成された、いわば“原爆神話”は、今でもアメリカ国内で横行しているのが事実のようです。

しかし、当然のごとく、日本側ではこれに対する反論も多く、中でも、「数字の算出基準が不明」、「仮定の条件を用いるべきではない」などいった意見をよく見かけます。

結局 ――― 、アメリカ側は原爆の残虐性を看過し、日本側は大陸侵攻の残虐性を看過しているので、このような反駁が延々と繰り返されるのでしょう。

いくら中立的に考えても、原爆の非道さに目をつむるとことはできません。しかし、他方で、トルーマン個人に集中砲火を浴びせることにも躊躇を感じます。ましてや、アメリカ人たる、この曲の作者ロバート・ラムを責める人はいないでしょう。かといって、勇気を振り絞って指摘した広島のファンの気持ちをないがしろにすることもできません。非常に意見表明をしにくい曲です。あえて言えば、結論のない問題なのでしょう(もっとも、そう言い切っていいのかは分かりませんが・・・)。

ここで思い出されるのは、2002年、日本のテレビ東京の音楽番組『そして音楽が始まる』のインタビューに答えるロバートのコメント、「誰でも平和でいたいんだよ」です。


さて、気分を変えて、音楽面からこの曲を見てみましょう。イントロはロバートらしいアップ・テンポな立ち上がり。ねっとりと語り掛ける口調は、現政権に対する揶揄(やゆ)的な意味を含んでいるかのようです。疲弊する国土を思いやるロバートの心情が如実に表れた歌詞。全体のゆったりとした雰囲気が、古き良き時代に思い馳せる歌詞の内容にどことなく符合しています。ウォルターのクラリネットも素朴な感じを演出するのに成功しています。

後半の鼻をつまんだようなコーラスは、クレジット上、“THE CARIBOU KITCHENETTES”となっています。直訳すると、≪カリブーの簡易台所≫といった奇妙な呼称になりますね。実際には、ジミー、リー、ウォルター、オリヴェイラのメンバー陣と、その他おそらくは当時のレコーディング・スタッフからなる総勢14名の即席コーラス隊のようです。カリブーはもちろん、当時シカゴのレコーディング・スタジオのことでしょう。

07
OH, THANK YOU GREAT SPIRIT
安らぎの朝の光

TERRY KATH

一説には、ジミ・ヘンドリックスへのトリビュートとも称される本曲。

ファンタジックなまでにキラキラとした音色で始まる導入部。テリーのギターが悠長に流れる中盤。やがて、そのギターは狂ったかのようにうねり出し、ダニーの力強いドラミングとあいまって、一気にクライマックスに突入します。最後は息を引き取らんばかりの寸止めギター。これらが7分以上にもわたる物語の一部始終です。

死の眠りから目を覚ました主人公は、まるで幽体離脱を体験しているかのよう。しかし、おかげで、あらゆる悩み事から解放され、ついに心の平静をモノにします。

偉大なる魂に感謝する主人公。ここに偉大なる魂とはやはり、70年、わずか27歳の若さで夭折したジミ・ヘンドリックスを言うのでしょうか。そして、本曲の作者もまた伝説に。

08
LONG TIME NO SEE
君は負け犬

ROBERT LAMM

『5』の"SATURDAY IN THE PARK"に代表されるような、ロバートの軽快なリズム感。それが、『6』、『7』のファンキーな雰囲気を吸収しつつ、より一層“突き抜けた”感覚として結実したのが、本アルバム1曲目の"ANYWAY YOU WANT"のピアノ・プレイとともに、本曲"LONG TIME NO SEE"という秀作ではないでしょうか。

何をやってもうまく行かない主人公に叱責するロバート。≪お前は負け続けてばかり。何物もお前を変えることなんかできやしない。幸福だってそりゃあ、そっぽを向くだろうさ≫。≪逃げたってなんにもならないんだぜ≫。≪孤独感が募り、空しさが去来するだけさ≫。とまあ、辛辣(しんらつ)な手向けとなっています。

歌詞中には登場しない、≪long time no see≫という題名は、決り文句で、≪お久しぶり≫という意味です。≪今までどこで何をしていたんだ?≫という主人公に対する問いかけに輪をかけて、揶揄している有様が目に浮かびます。

伊藤秀世さんの推測されるように、泥沼化したベトナム戦争に(負けるべくして?)負けた自国アメリカへの強烈な皮肉なのか。否、もう少し穿(うが)った見方をして、作曲活動が停滞した自身に対する侮蔑なのか。いずれにしろ、後者なら相当自虐的な歌詞と言えそうです。

心なしか、半ばヤケ気味に歌ってるように聴こえつつも、ポップな歌に映ってしまうのが、ロバートの“腐っても鯛”的なところ。“腐る”というより、“気力疲れ”と言った方が当時の創作状況を正確に物語っているのかもしれませんけれど・・・。

09
AIN'T IT BLUE ?
淋しくなんかないさ
ROBERT LAMM

多少重みのあるロバートのピアノ・イントロ。それにブラスが覆い被さり、テリーのギターがグイングインと唸る本曲。

しかし、それ以上に気になるのは、内容。

ここでは、プレッシャーに押し潰されるかのような作者ロバートの追い込まれた心情が書かれているような気もします。つまり、初期からグループを引っ張ってきた自負。しかし、他のメンバーもそれぞれに個性を発揮し、自分が唯一無二の存在では無くなってきたという実感。そこから、次第に意識するようになった自らの創造力の低下。そんな転げ落ちていくかのような現況を危惧する自分。それでもなお自己に期待する周囲。そういう状況の中で、ふと、がんじがらめになっている自分を発見するというくだり・・・。そんなロバートの置かれた精神的に複雑な状況をこの歌に託したように思えてなりません。

歌詞中、≪Ain't it blue≫の訳し方は迷うところですが、≪落ち込まないかって?(馬鹿言うな、落ち込むに決まってるだろっ!)≫という意味になるのでしょうか。だとすれば、サビ部分を通した場合、≪悲しくないかって?(そりゃあ、悲しいよ)≫、≪物差しの方が間違ってるのかって?(いや、それで合ってるよ)≫、≪落ち込まないかって?(そりゃあ、落ち込むさっ!)≫みたいな感じになるんですかね。ブルーではないけど・・・、と気を張る姿がいかにも痛々しく映ってしまいます。

ところで、ボーカルは、テリー→ピーターの順に進められ、作者のロバート自身はバック・コーラスに関わっているのみのようです。もし、本当にロバートの悩みの歌だとしたら、本人が歌うと、生々しくなってしまうからでしょうか・・・。

10
OLD DAYS
追憶の日々
JAMES PANKOW

この曲をはじめて聴いたときは、「これぞロックだ!」と思ったのを覚えてます。内容は超ノスタルジックな思い出ソングなんですけどね・・・。

ただ、よく言われるように、ピーターは趣味に合わないとして、この曲をひどく嫌がったそうです。本人曰く、「ハウディ・ドゥーディ、ベースボール・カード?悪趣味だぜ、こんなくだらない歌は歌わないよ!」と。

しかし、作者のジミーはこの少年時代の回想曲によほどの思い入れがあるらしく、「グッとくるものがある」という万感の品々を掲げ、≪過ぎ去った過去に連れ戻して。思い出はまるで昨日のことのようだよ≫と思いを馳せます。この気持ち、よおく分かります。時代背景上もこの頃アメリカは懐古主義的、つまり、ベトナム戦争のあやまちに世間の気力が萎(な)え、古き良きものへの郷愁が支配していた時期でもありましたから、余計そうなんでしょう。個人的にはジミーに軍配を挙げたいと思います。それに、ヴォーカルだって、ピーターならではの作品だと私は考えます。

そんな郷愁的な思いに、こちらも胸が熱くなる部分があります。とくに、≪summer nights and streetcars, Take me back〜≫から同調するストリングスの調べには、そのままどこかに連れていかれそうになる、何とも言えない味わいがあります。このストリングスは、2曲目の"BRAND NEW LOVE AFFAIR PART I & II"同様、パット・ウィリアムスが担当しています。

それと、この曲のチャート上の上昇の仕方には目を見張るものがありました。"HARRY TRUMAN"のスマッシュ・ヒットの後を受けて、68位で初登場するや否や次の週には43位へジャンプ・アップ。そして、当時としては珍しかった、トップ40圏外から10位代への大幅アップとなる、43位→17位への急上昇。この曲こそ"愛ある別れ"に先駆けて初の1位になるのでは?という期待を抱いた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

ところが、結局は5位を2週連続キープするにとどまりました。このときの第1位は、それぞれジョン・デンヴァーの"すばらしきカントリー・ボーイ"とアメリカの"金色の髪の少女"。なぜか悔しい気がしません(笑)。そして、その次の週からは、なんとキャプテン&テニールの大ヒット曲"愛ある限り"が1位を独走(4週連続)。これも悪い気はしません。

なお、ライノから再発された国内盤の歌詞カードでは、従来≪For good memories≫とされていた部分が、≪Boyhood memories≫、つまり、≪少年時代の思い出≫に改められています。その他、フェイド・アウト部分の歌詞も変更されています。

<ライノ再発盤ボーナス・トラック>
11
SIXTH SENSE (Rehearsal)
シックス・センス (リハーサル)

TERRY KATH

まず、“テリーのインストゥルメンタル”という点が珍しいです。

『1』の"FREE FORM GUITAR"は別としても、本格的なインストゥルメンタルとなると、『2』におけるピーター・メイツとの共作、"PRELUDE"、"A.M. MOURNING"、"P.M. MOURNING"という連作にまでさかのぼれそうです。また、前作『7』は、ジャズとポップスの折半アルバムという形をとりましたが、ここでもテリーはインストゥルメンタルを発表していません。それとも、この『7』セッションで触発されたのでしょうか、本アルバム『8』のボーナス・トラックとして収録されたテリーの曲はインストゥルメンタルだったわけです。

先の『2』における"PRELUDE"などは、クラシカルな曲調で、とても厳かな雰囲気を持っていましたが、そこではテリーのギターがうなる部分はほとんどありませんでした。

対して、本曲"SIXTH SENSE"の方は、『7』の後ということもあってか、やはり、ジャジーなムードが漂っています。全体で活躍するトランペットが軽快で、小気味良いのが印象的です。今度はテリーのしゃくるようなギター・プレイも散見されます。冒頭の突き刺すような電子オルガン(?)のイントロも妙にはまってます。その意味で、現代的なライト・ジャズとでも呼べそうです。

いずれにしても、インストゥルメンタルは、ロバートやジミーの独断場でしたから、テリーのインストゥルメンタルというのは意外でした。あらためて、シカゴの幅の広さを感じますし、ロックやポップスに興味のない、ジャズ志向の人にも喜ばれる作品だと思います。

12
BRIGHT EYES (Rehearsal)
ブライト・アイズ (リハーサル)
ROBERT LAMM

≪ベイビー、キミの青い瞳を見せて。キミの輝く瞳が微笑むのを見せて≫というロマンティックな歌詞で始まる本曲。

ロバートの歌詞作りは非常に面白くて、大きく分けて内容面と形式面の2パターンに分けることできると思います。

第1の内容面。これも2つに分かれます。"DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS ?"に見られるような、“叙事詩型”と、"BEGINNINGS"に見られるような、“叙情詩型”。前者は、事実を注視し、後者は内心の感情を表現したものです。

一方、第2の形式面。これも、"QUESTIONS 67 AND 68"のような“長文型”と、"自由になりたい"のような“短文型”の2類型に分類できそうです。前者は、長文のために、前後の歌詞をつなげないと意味が伝わらないことも多く、また、それらを一気にまくし立てて歌う特徴があります。反対に、後者は、シンプルな言葉を繰り返し起用することで曲を形成させるために、その多くは主語などを付け足したり、ニュアンスで受け取るといった意訳的な作業が必要になってきます。また、口語的表現やスラングが用いられることが多いのも後者の特徴です。例えば、キャンペーン・ソング"WHERE YOU THINK YOU’RE GOIN ?"や、本アルバムの"LONG TIME NO SEE"などを思い起こしてください。

このうち、本曲"BRIGHT EYES"は、内容面では“叙情詩型”、形式面では“短文型”、と明確に分類できる好例です。

リハーサルなので、ロバートのみの吹き込みであることに違和感はありませんが、もともと、本アルバムは、個々のソロ・ヴォーカルによる曲が多く、掛け合い的な曲は、"BRAND NEW LOVE AFFAIR PART I & II"や"AIN'T IT BLUE ?"など、限られたものにとどまりました。それにしても、リハーサルにとどまらせるのは惜しい曲で、シングルにおあつらえ向きの曲ではなかったか、と思えてなりません。

また、全体的にふわっとした曲調や、囁き掛けるヴォーカル・スタイルなどからは、この曲が非常にプライベートな曲であるかのような印象を受けます。

当時のロバートの恋人は、ジュリー・ニニでしょうか?彼女との間にもうけた愛娘サーシャは、"BRIGHT EYES"完成時にはまだ生まれていないような気がします(但し、確信なし)。従って、曲のモデルとして想定されているのは、普通に考えて、やはりジュリー・ニニなのかな、と思うわけです。

これに対して、ロバートは後年、ソロ3作目の『IN MY HEAD』において"SACHA"という曲を書いています。

この"SACHA"の歌詞には、子供の誕生を待ちわびるロバートの心情があふれ出ています。一方、本曲"BRIGHT EYES"には、そのような親としての心情よりは、恋人に対する甘い気持ちが強く表れているように映ります。

ところで、驚いたことに、この"SACHA"の中にも≪your blue eyes≫、つまり、≪青い瞳≫という言葉が出てくるのです。単なる偶然なのか、遺伝なのか、いやはや・・・。

13
SATIN DOLL (Live,1974)
from Dick Clark's Rockin' New Years Eve (taped 11/26/74)
サテン・ドール (ライヴ)
DUKE ELLINGTON BILLY STRAYHORN

アメリカでは、毎年大晦日に、ディック・クラークがホストを務める『Rockin' New Years Eve』という番組が放映されています。この番組は70年代初頭から始まり、いまだに続いている人気長寿番組です(正確には「New Year's Rockin' Eve」という綴りのようですが、ここではとりあえずCDの表記に従っています)。

シカゴの演奏する、この"SATIN DOLL"は、74年12月31日に放映されたものと思われます(但し、実際の演奏は、表記にあるように同年11月に録音されている模様)。

なお、『FELLIN' STRONGER EVERY DAY』という洋書の80頁にも、この『Rockin' New Years Eve』の話題が掲載されています。しかし、それによると、これは“75年の大晦日”の放映分、という見方ができるのです。74年の間違いなのか、2年連続だったのか、その辺のことがよく分かりませんでした・・・。

さて、本曲の原曲は、“巨匠”デューク・エリントン。彼としては、後期の曲と言っていいと思います(58年)。まさに古き良き時代を懐かしむようなゆったりとした作風です。以下のように様々な名演があります。

<試聴1>=3曲目 <試聴2>=79曲目 <試聴3>=10曲目


一方、“若造”シカゴの演奏は、さすがロック・バンドよろしく、パワーというか迫力があります。とはいえ、原曲のイメージをほぼ忠実に再現していると言っていいでしょう。この曲の演奏時、シカゴの面々は、タキシード姿でビシッとキメており、その様子は、ロバートのオフィシャル“PHOTO GALLERY”にて垣間見ることができます。


では、一体なぜシカゴがこの曲を演奏することになったのでしょうか?

この謎を解くカギは、まず、ディック・クラークにあります。

冒頭にも挙げた、ディック・クラークとは、50年代からテレビの名司会者としておなじみの人物です。彼は、一方で、スター歌手を率いて地方巡業に精を出した人でもあります。“キャラヴァン・オブ・スターズ”と名付けられた、この巡業には、当然、バック・バンドが必要で、のちに、シカゴのプロデューサーとなるジェイムズ・ウィリアム・ガルシオもそんなバック・バンドの一員として活動した時期もありました。

そして、おそらくは65年頃、このガルシオに代わって、ディック・クラークのバック・バンドの座を射止めたのが、かのジミー・フォード・アンド・ザ・エグゼキュティヴズ(JIMMY FORD AND THE EXECUTIVES)でした。何を隠そうわれらがテリー・キャスが在籍したバンドです。また、同時期には、ウォルター・パラゼイダーも参加していたようです。

なるほど、そういう下積み時代の縁があって、シカゴに再びお呼びがかかったのでは?、という推測ができそうです。

次に、デューク・エリントンの曲を取り上げたのは、いかなる理由でしょう?

これより先、1973年に、シカゴは、エリントンの74歳の誕生日を祝うTV番組に出演し、彼の"JUMP FOR JOY"を披露します。このとき、シカゴは、あろうことか、“巨匠”エリントンから、「君たちは次世代のエリントン」との返礼を受けます。多分にリップ・サービスの趣きもありますが、それにしてもすごいことで、このシーンは、いまだにメンバーの心に刻まれているそうです。

ところが、そもそも、デビューしてまだ4年、しかも、急進的な歌詞をも含む、“若造”が、なぜデューク・エリントンのような、古き良き時代を象徴する、“巨匠”の祝席に招かれたのか、若干詳細がつかめない部分もあります。

しかし、シカゴのメンバーのうち、ホーン・セクションの3人は、いずれもビッグ・バンドとともに少年期を過ごしてましたし、なにしろ、ロックにブラスを導入して目覚ましい活躍を遂げていたシカゴでしたから、多少なりとも関連はあったわけです。

シカゴが74年に至って、この"SATIN DOLL"を取り上げたのも、このときの感激が続いていたと見ることもできるでしょう。

ただ、他方で、実は、大変残念なことに、この74年の5月に、エリントンは病没しているのです。そうなると、当該選曲には、こういった巨匠への敬慕の表れ、今で言ったら、トリビュート的な思いがあったのかもしれません・・・。

以上、ディック・クラークの番組でデューク・エリントンの曲を演奏することになったのは、このような機縁があったからなのでしょうね、きっと。そして、それは、シカゴ・ファンにとっても大変光栄なことのように思います。