ディスコグラフィ   シカゴ(11)

CHICAGO XI (1977/9)
CHICAGO

曲目 シカゴ XI
シカゴ
総評

試聴♪

Produced by JAMES WILLIAM GUERCIO

曲目
01 MISSISSIPPI DELTA CITY BLUES ミシシッピー
02 BABY, WHAT A BIG SURPRISE 朝もやの二人
03 TILL THE END OF TIME 永遠の愛
04 POLICEMAN 孤独なポリスマン
05 TAKE ME BACK TO CHICAGO シカゴへ帰りたい
06 VOTE FOR ME 僕の公約
07 TAKIN' IT ON UPTOWN 無情の街
08 THIS TIME 今度こそは
09 THE INNER STRUGGLES OF A MAN ある男の苦悩
10 PRELUDE (LITTLE ONE) 前奏曲(愛しい我が子へ)
11 LITTLE ONE 愛しい我が子へ

<ライノ再発盤ボーナス・トラック>

12 WISH I COULD FLY (Rehearsal) ウィッシュ・アイ・クッド・フライ
(リハーサル)
13 PARIS (Rehearsal) パリ (リハーサル)
総評

01

MISSISSIPPI DELTA CITY BLUES
ミシシッピー

TERRY KATH

02
BABY, WHAT A BIG SURPRISE
朝もやの二人

PETER CETERA

出だしのイントロ部分の音が何の楽器によるものなのか実はよく分かりません。ボックス・セット『グループ・ポートレイト』のピーターの言によれば、ピッコロ・トランペットのようにも思えますし、収録アルバム『シカゴ XI』の他の曲の楽器リストから推測すると、フリューゲル・ホーンとも考えられます(もしかして、両者は同じものを指してるとか!?)。それに、フルートのように聴こえなくもないという困惑状態。とにかく、私のような楽器音痴が私的感想を述べるのは考えものです・・・。

なお、歌詞中、“もや”を表す言葉は出てこないのですが、このイントロ部分は、まさにこの“もや”を、それもみずみずしく表現している点で“朝もや”の雰囲気を連想させるに十分だと思います。

曲の内容としては、≪僕は人生を無駄に過ごしてきたけど、今日この場でキミがやさしく僕の心を変えてくれたんだ≫という歌詞に象徴されるように、運命の人に出会えた瞬間の新鮮な驚きを包み隠さず、歌い上げたものと推測されます。

ここにいう≪キミ≫とは、のちに結婚〜離婚を遂げるダイアン・ニニのことを指すのでしょう。ちなみに、2人の間に生まれたクレア・セテラはピーターが引き取り、今では女子スノー・ボード界の有望選手にまでなりました。2002年のソルトレーク・オリンピック代表にあと一歩及ばず、という実にハイ・レベルのスキルです。さらに、2004年に発表されたピーターのクリスマス・アルバム『YOU JUST GOTTA LOVE CHRISTMAS』の中では、堂々としたデュエット相手を務めています。

また、この曲のバック・ヴォーカルには、ピーターの実弟のティム・セテラや、ビーチ・ボーイズの故カール・ウィルソンが参加しています。さらに、クレジットはされていないものの、エンディングのフェイド・アウト部分で聴こえるのはテリーの声のような気もするのですが、果たして・・・。

03
TILL THE END OF TIME
永遠の愛
JAMES PANKOW

04

POLICEMAN
孤独なポリスマン

ROBERT LAMM

05
TAKE ME BACK TO CHICAGO
シカゴへ帰りたい

DANIEL SERAPHINE DAVID "HAWK" WOLINSKI

出身者が大半を占め、少なくともグループ結成の地として拠り所となる土地、シカゴ。のちにニューヨーク、ロッキー山脈とレコーディングの拠点を移す彼らですが、11枚目のアルバム『シカゴ XI』に至ってはじめて地名のシカゴをモチーフとしたジャケット・デザインを持ち出します。"TAKE ME BACK TO CHICAGO"というタイトルからすれば、メンバー自身が懐かしの地、シカゴに戻りたいという願いを込めて作ったもの、と想像するのは難しいことではないかもしれません。

但し、作曲者のダニーは、この曲を自分の友人に捧げています。その友人とは、イリノイ・スピード・プレスという、ほとんど成功しなかったグループのドラマー、フレディ・ペイジを指すようです。その彼は悲劇的な死を遂げたということだけ伝わっています。

また、このアルバム『シカゴ XI』がリリースされた4ヶ月後、グループ結成の核となったテリー・キャスが拳銃の暴発事故でこの世を去り、シカゴの活動は暗転します。そんな経緯もあって、"TAKE ME BACK TO CHICAGO"というタイトルは、打ちのめされたメンバー各自の思いを馳せる地として関連付けされてしまうこともあるかもしれません。

いずれにしろ、どこかノスタルジックで、寂寥感に似たものを感じさせるのは、ロバート・ラムの実に滑らかでやさしいヴォーカルによるものと思われます。

なお、この曲でも、やはり、ダニーの盟友、デイビッド・“ホーク”・ウォリンスキーの助力が光ります。また、同じく同郷のチャカ・カーンが後半のコーラスに大活躍してくれます。

06
VOTE FOR ME
僕の公約
ROBERT LAMM

07

TAKIN' IT ON UPTOWN
無情の街

FRED KAGAN TERRY KATH

08

THIS TIME
今度こそは

LEE LOUGHNANE

09
THE INNER STRUGGLES OF A MAN
ある男の苦悩

DANIEL SERAPHINE DAVID "HAWK" WOLINSKI DOMINIC FRONTIERE

テリー・キャスの急逝直後に"LITTLE ONE"がシングルカットされたこともあって、邦題"ある男の苦悩"にいう“ある男”とはテリーのことと思われてる方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに、テリーの死については様々な憶測が流れ、その中でも、肥満体型や演奏上のふがいなさ(もちろん、相当高いレベルでの)などに対する悩みが原因として挙げられたりしました。

しかし、本当は次曲"PRELUDE (LITTLE ONE)"に示したように、ドラマーのダニー・セラフィンのことです。

なお、この"THE INNER STRUGGLES OF A MAN"という曲は、本アルバム中、09から11までの連作の冒頭部分にあたるインストゥルメンタルです。連作全体のオーケストラ・パートは、ドミニク・フロンティール(正確な発音不明)という人物が担当しています。

10
PRELUDE (LITTLE ONE)
前奏曲(愛しい我が子へ)
DANIEL SERAPHINE DAVID "HAWK" WOLINSKI DOMINIC FRONTIERE

ピーターなどと違って、ダニーの書く曲は、恐ろしく現実的で、胸を詰まらせるものがあります。

想像ですけど、2人の子との別れの朝の光景ではないでしょうか。子供の顔を通して、かつて愛した妻への思いを馳せている、そんなシーンが浮かんできます。

11
LITTLE ONE
愛しい我が子へ
DANIEL SERAPHINE DAVID "HAWK" WOLINSKI

2つの意味で悲しい曲です。


1つは、この曲がダニーの破局を歌ったものだということです。

夫婦間の破綻に伴い、ダニーは愛する2人の子供とも離れ離れとなってしまいます。自分の仕事への理解を求めつつ、辛い思いをさせたことへの償いを切々と語りかける歌詞は、本当に涙腺を緩ませます。シカゴの曲の中でも、これほど涙を誘う歌があるでしょうか?

私たちはシカゴの音楽に接することができてすばらしい思いをしますが、逆に、家族にはこういった悲劇をもたらすのかと思うと、とても複雑な気分になります。

なお、LPの最後には、ダニーの言葉、「Dedicated to Danielle and Christine... My little ones」の記載がありました。

ところで、ダニーは、2006年に本格的にバンド活動を再開しています。その名もCTA(CALIFORNIA TRANSIT AUTHORITY)というバンドで、主にシカゴの曲をレパートリーとしています。

そして、このCTAのオフィシャル・ウェブサイトの製作に携わった人物が、ここに出てくる≪Christine≫、すなわち、クリス・セラフィンその人なのです。≪LITTLE ONE≫が、今やダニーのニュー・バンドのサイトの管理人をしているなんて、ちょっと感動モノです!


さて、悲しい2つ目は、もちろん、テリー関係の話です。

この曲は、テリーの事故死の前後にシングルカットされたため(78年1月)、テリーへの哀歌となってしまいました。

その絶唱がまさにテリーというシカゴにおける唯一のカリスマを際立たせることにもなったわけです。歌詞の内容を知らなければ、この曲はテリーの内なる叫びにしか聞こえなかったでしょう。それほど情感がこもって歌い上げられています。

なお、この曲に続いて、"TAKE ME BACK TO CHICAGO"が78年5月にシングルカットされます。題名を見ただけでは、これも、テリーの死によって混乱に陥ったメンバーが「シカゴに帰って、心を休めたい・・・」と言ってるように聞こえますが、これも誤解です(詳しくは、同曲の私的感想を参照)。


さて、本作発表後の77年11月、シカゴは、金銭面・製作面での亀裂から、プロデューサーのガルシオを解雇します。デビュー前も含めて約10年、ナンバー・アルバム11枚というパートナーシップはここで幕を閉じました。

そして、翌78年1月、繰り返し述べてきましたように、テリーが急逝・・・。

バンドの2つの軸を失ったシカゴには“絶望”の2文字が襲うことになります。


しかし、夏にはツアーが始まります。そういった意味では、悲しみにゆっくりと浸ってるだけの時間を神様は許さなかったのかもしれません。

そこで、78年4月には後任のギターリストとして、ドニー・デイカスを指名します。

そして、シカゴは死にませんでした!

同じ78年の9月には、フィル・ラモーンとシカゴの共同プロデュースのもとに通算12作目にあたる『ホット・ストリート』をリリースし、10月にはシングル"ALIVE AGAIN"をカットします。

この"ALIVE AGAIN"は、文字通り受け取っていただいて結構です。シカゴは“甦った”のです!!

<ライノ再発盤ボーナス・トラック>
12
WISH I COULD FLY (Rehearsal)
ウィッシュ・アイ・クッド・フライ (リハーサル)
JAMES PANKOW

13
PARIS (Rehearsal)
パリ (リハーサル)
ROBERT LAMM