2つの意味で悲しい曲です。
1つは、この曲がダニーの破局を歌ったものだということです。
夫婦間の破綻に伴い、ダニーは愛する2人の子供とも離れ離れとなってしまいます。自分の仕事への理解を求めつつ、辛い思いをさせたことへの償いを切々と語りかける歌詞は、本当に涙腺を緩ませます。シカゴの曲の中でも、これほど涙を誘う歌があるでしょうか?
私たちはシカゴの音楽に接することができてすばらしい思いをしますが、逆に、家族にはこういった悲劇をもたらすのかと思うと、とても複雑な気分になります。
なお、LPの最後には、ダニーの言葉、「Dedicated to Danielle and Christine... My little ones」の記載がありました。
ところで、ダニーは、2006年に本格的にバンド活動を再開しています。その名もCTA(CALIFORNIA TRANSIT AUTHORITY)というバンドで、主にシカゴの曲をレパートリーとしています。
そして、このCTAのオフィシャル・ウェブサイトの製作に携わった人物が、ここに出てくる≪Christine≫、すなわち、クリス・セラフィンその人なのです。≪LITTLE ONE≫が、今やダニーのニュー・バンドのサイトの管理人をしているなんて、ちょっと感動モノです!
さて、悲しい2つ目は、もちろん、テリー関係の話です。
この曲は、テリーの事故死の前後にシングルカットされたため(78年1月)、テリーへの哀歌となってしまいました。
その絶唱がまさにテリーというシカゴにおける唯一のカリスマを際立たせることにもなったわけです。歌詞の内容を知らなければ、この曲はテリーの内なる叫びにしか聞こえなかったでしょう。それほど情感がこもって歌い上げられています。
なお、この曲に続いて、"TAKE ME BACK TO CHICAGO"が78年5月にシングルカットされます。題名を見ただけでは、これも、テリーの死によって混乱に陥ったメンバーが「シカゴに帰って、心を休めたい・・・」と言ってるように聞こえますが、これも誤解です(詳しくは、同曲の私的感想を参照)。
さて、本作発表後の77年11月、シカゴは、金銭面・製作面での亀裂から、プロデューサーのガルシオを解雇します。デビュー前も含めて約10年、ナンバー・アルバム11枚というパートナーシップはここで幕を閉じました。
そして、翌78年1月、繰り返し述べてきましたように、テリーが急逝・・・。
バンドの2つの軸を失ったシカゴには“絶望”の2文字が襲うことになります。
しかし、夏にはツアーが始まります。そういった意味では、悲しみにゆっくりと浸ってるだけの時間を神様は許さなかったのかもしれません。
そこで、78年4月には後任のギターリストとして、ドニー・デイカスを指名します。
そして、シカゴは死にませんでした!
同じ78年の9月には、フィル・ラモーンとシカゴの共同プロデュースのもとに通算12作目にあたる『ホット・ストリート』をリリースし、10月にはシングル"ALIVE AGAIN"をカットします。
この"ALIVE AGAIN"は、文字通り受け取っていただいて結構です。シカゴは“甦った”のです!!
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