ディスコグラフィ   ロバート・ラム(03-2004年版)

TOO MANY VOICES (2004/5)
ROBERT LAMM

曲目 [日本国内盤未発売]
ロバート・ラム
総評

試聴♪

Produced by JOHN VAN EPS
Remastered by HANK LINDERMAN
cf. 上記アルバムは、1999年に発売された 『IN MY HEAD』の再発追加盤です。

曲目 <国内盤未発売のため、邦題は単純にカタカナ表記にしてあります>
01 THE LOVE YOU CALL YOUR OWN ラヴ・ユー・コール・ユア・オウン
02 SACHA サーシャ
03 STANDING AT YOUR DOOR スタンディング・アット・ユア・ドアー
04 SAD OLD HOUSE (New) サッド・オールド・ハウス (新曲)
05 THE LOVE OF MY LIFE ラヴ・オブ・マイ・ライフ
06 SCHITZOID (New) スキッツォイド (新曲)
07 WILL PEOPLE EVER CHANGE ? ウィル・ピープル・エヴァー・チェンジ?
08 THE HEART OF ME (New) ハート・オブ・ミー (新曲)
09 THE BEST THING ベスト・シング
10 IF EVERYBODY KNOWS (New) イフ・エヴリバディ・ノウズ (新曲)
11 SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED スリーピング・イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ベッド
12 SWEPT AWAY スウェプト・アウェイ
13 LOVE YOU TONIGHT (New) ラヴ・ユー・トゥナイト (新曲)
14 SACRIFICIAL CULTURE サクリフィシャル・カルチャー
15 GOOD LOVIN' AIN'T EASY TO COME BY (New) グッド・ラヴィン・エイント・イージー・トゥー・カム・バイ (新曲)
16 WATCHING THE TIME ウォッチング・ザ・タイム
総評

ロバート・ラムのソロ・アルバム第3弾『IN MY HEAD』(99年)が、『TOO MANY VOICES』と改題・追加収録の上、再発されたものです。

この≪too many voices≫の語は、≪in my head≫と同じく、"THE LOVE YOU CALL YOUR OWN"の一節に登場する歌詞です。

今回の特筆点は、ロバートが曲順を練り直したことと、当時のセッションにおいて録音された6曲のボーナス・トラックが追加収録されていることでしょう。

ただ、従前の収録曲も含めて、曲名が若干修正されている場合がありますので、ご留意ください。

さらに、ジャケット画も、ソロ第4弾『SUBTLETY & PASSION』で見られたロバートのアート・ワークにとって代わられています。

なお、収録曲の全部についてリマスター化が施されています。作業にあたったのは、その『SUBTLETY & PASSION』を共同プロデュースしたハンク・リンダーマン。メールをすると、まめに返してくれる素晴らしい人物です!


本アルバムの販路は、今のところ、オンライン経由がメインとなっているようです。

詳しくは、Robert Lamm Virtual Store、もしくは、CD Babyをご訪問ください。

改題前のアルバム『IN MY HEAD』のページ
01

THE LOVE YOU CALL YOUR OWN
ラヴ・ユー・コール・ユア・オウン

ROBERT LAMM GERARD McMAHON

壮大なスケール感を持つサウンド。アルバム・タイトルでもある≪in my head≫という語が登場する曲。と同時に、このアルバムの中で一番解釈に迷った作品でもあります。

大きくなっても≪あらゆる点で自分の心に忠実であろう≫と思っていた少年時代。しかし、いざ大人になってみると、ヘタな思慮が付いて、何をするにでも躊躇してしまうもの。言いたいことも言えなくて、≪たくさんの声にならない声(=too many voices)≫が、≪頭の中で(=in my head)≫こだまします。

かつて、≪とても簡単に思えたことが、実際にはこんなにも難しいものだったのか・・・≫という、落胆とも、もどかしい気持ちともとれる心情が歌詞にありありと表れています。

しかし、直後に、≪時を逃すな!瞬間を掴み取れ!そして、2度と時機を逸してはならないんだ!≫と叫びます。つまり、後悔しないためにも、尻込みをするな、といったところでしょうか。

そして、ここからが問題なのですが、これに続いて、≪The state of mind is everything about the love you call your own≫という歌詞が来ます。かなり迷いますが、ここは、≪心の持ちようで自分自身のことを愛せるようになるんだよ≫とでも訳しておきたいと思います。仮に、この解釈を前提とすると、自虐的に思い詰めず、ためらわなくていいよ、といったメッセージがひそんでいるのかもしれません。

一方、ロバートは後半で、≪キミは自分の帰属先を求めて人生の半分を過ごしてきた。しかし、突然、それがどこにあるか分かるようになる。キミの目の前にある、ということがね≫と結びます。そう言われると、なんだか安心しますね。

ちなみに、この曲、CDのクレジット上は1999年製作ですが、ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトによれば、1992年となっています。前作ソロ第2弾の『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』の録音時にはある程度できていたわけですね。

02

SACHA
サーシャ

ROBERT LAMM

≪サーシャ、マイ・ラヴ≫というやわらかい囁きが印象的な曲。

サーシャは、ロバートの長女。歌詞には愛娘に対する愛情があふれて出ています。≪何でも純粋に信じ込むしぐさが好き≫、≪新しい発見があると、そのまなざしと甘い微笑みを僕に投げかけてくれるんだよね≫などなど。

一方、サーシャは≪blue eyes≫、つまり、青い瞳をしているようです。この点、シカゴの『未だ見ぬアメリカ(シカゴVIII)』にボーナス・トラックとして追加された"BRIGHT EYES"という曲は、おそらくサーシャの母親であるジュリー・ニニのことを歌ったものと推測されますが、同じく≪blue eyes≫という言葉が出てきます。勝手に結び付けて恐縮ですが、遺伝ってすごいな、と思います。

ちなみに、ジュリー・ニニは、ダイアン・ニニの妹でもあります。ダイアン・ニニは元ピーター・セテラ夫人。2人はクレアという娘をもうけます。従って、サーシャとクレアは従姉妹にあたるわけですね。

なお、ロバートは他に、ケイトとショーンという娘さんの父親でもあります。このうち、ケイトについては、次作ソロ第4弾『SUBTLETY & PASSION』において"FOR YOU, KATE"という曲を発表しています。もし、ロバートが次にソロ・アルバムを作るとしたら、当然、このショーンに関する曲が収録されることでしょう。

しかも、ロバート本人のコメントによれば、その来るべきショーン名を冠した曲の構想はほぼ整っているようですよ!

03
STANDING AT YOUR DOOR
スタンディング・アット・ユア・ドアー
ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

これって、もしかして・・・。

もしかして、ロバートの父親へ捧げる歌なのでしょうか?そう考えると納得いく歌詞がいくつかあります。≪Most of my life I was living without you≫、≪Independent son≫、≪What part of me has come from you ?≫などなど―――。そして、≪今、あなたのドアの前に立っている≫。何と言っていいか分からないですね・・・。

ロバートは両親の離婚に伴い、15歳のときにニューヨークはブルックリンから母親に連れられてシカゴへと移り住んできます。こうして色々なことを考えると、歌詞の内容を吟味するのがいかにも詮索じみて嫌になってきそうです。

そういえば、ロバートは80年代後半から90年代初頭のいずれかの時期に、再びニューヨークに居を移しています(詳しくはこちら)。

この曲を作ったと思われるのもおそらくその90年代前半です(但し、クレジットは93年)。故郷に帰ってきて、今まで胸に秘めていたものが抑えられなくなったのかもしれませんね。

曲調は、たしかに、最近のサウンドと言えば言えますが、『遙かなる亜米利加』やソロ第1作『SKINNY BOY』あたりの内省的なロバート節が久々に聴かれます。

なお、この曲は、のちに、ベックリー・ラム・ウィルソンの『LIKE A BROTHER』(2000年)に、日本盤ボーナス・トラックとして追加収録されるに至ります。イントロと後半のフェイド部分がちょっと異なり、全体の秒数が若干短い程度の違いです。また、本作『IN MY HEAD』のバージョンには、ジェリーとカールのヴォーカルは入っていません。

04

SAD OLD HOUSE (New)
サッド・オールド・ハウス (新曲)

ROBERT LAMM BILL CHAMPLIN

今回の再発にあたって追加されたボーナス・トラック。

ですが、以前にロバート自身が“レア・トラック”として、オフィシャル・ページにてプレビュー紹介してくれていました。そのときのコメントを付記します。

ロバート・ラム本人のコメント

この"SAD OLD HOUSE"(ビル・チャンプリン/ロバート・ラム作)は、ちゃんとした形にするまで幾多のプロセスを経てきた曲です。ビル・チャンプリンは、1993年、ロサンゼルスでのレコーディングの合い間に、ギター・コードを演奏してくれました。私は、その録音テープをニューヨークに持って行き、韻文を加え、そして、詩とメロディを書きました。『IN MY HEAD』の製作第1段階(95年)では、アルバムに収録するつもりで仕上げに入っていましたが、製作第2段階(98年)に至って、再びこれをとり止めました。人生は、その人の考えにかかわらず移ろい行くものだ、という、見かけはとてもメランコリックな曲です。シカゴの"FANCY COLOURS"のイントロ部分がサンプリングされている点をお聴き逃しなく

リニューアル前のロバートのオフィシャル・ウェブサイトでは、この曲の歌詞も掲載されていたのですが、現在はまだアップ作業が進んでいません。

90年代のロバートの音作りらしく、シンセサイザーによる機械的な後付けが目立ちますが、その持てる雰囲気は、74年のソロ第1弾『SKINNY BOY』のようなロマンティック路線を彷彿とさせます。ただ、全体のテンポは、ヒップ・ホップほどではないものの、さすがに軽快感が増している感じがします。

本人のコメントにあるように、曲の出だしには、シカゴの2作目『シカゴと23の誓い』に収められた彼の自作、"FANCY COLOURS"の導入部が使用されています。キラキラと輝くような音が幻想的で、とても綺麗です!

05

THE LOVE OF MY LIFE
ラヴ・オブ・マイ・ライフ

ROBERT LAMM JIM VALLANCE

ジム・ヴァランスは、カナダのヴァンクーヴァーを拠点に活動する作曲家。とくに同じカナダ出身のブライアン・アダムスとの一連の共作品が有名。

ロバートとこのジム・ヴァランスの接点については、当のジム・ヴァランス自身が克明に覚えており、自らのウェブサイトにて紹介してくれています。

それによりますと、シカゴは“1994年3月”に“ヴァンクーヴァーにおいてレコーディング”をしていたようです。ちなみに、この日付は重要です。つまり、あのお蔵入りとなったアルバム『STONE OF SISYPHUS』のリリース予定が“1994年1月”前後でした。そして、数ヶ月ずつ延期されていった挙句にとうとう発表が見送られた時期と重なります。

結局、時期的にはこのお蔵入り事件の直後、シカゴはここにいう“ヴァンクーヴァーでのレコーディング”作業にとりかかったことになります。

では、このレコーディング内容は何用に行われたものなのでしょう?

この点、シカゴは同時期に、どうやらブルース・フェアバーンと会していたようなので、次作『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』の準備的な作業をしていたのではないかと推測してみました。あるいは、レコーディング内容はともかく、同アルバムに見られるようなビッグ・バンド的なアイデアがこのときに閃いたのかもしれません。その後、実際に、この『ナイト・アンド・デイ〜ビッグ・バンド』が、ブルース・フェアバーンをプロデューサーに迎えて、1994年の12月(ヴァンクーヴァー。このとき使用したのはジム・ヴァランス所有のスタジオ)と1995年の1月(ロサンゼルス)に録音されていることも、これを裏付けようというものです。

さて、話は戻り、1994年の3月のヴァンクーヴァー。ジム・ヴァランスは、上記のブルース・フェアバーンと交遊があったこともあり、シカゴの面々と、それに、当時ジム・ヴァランスが一緒に仕事をしていたオジー・オズボーン(!)らと一同連れ立って、食事に出掛けます。

そして、数日後、ロバートの方から、共作の話を切り出したということです。デビュー時からシカゴのファンだったジム・ヴァランスは、驚きのあまり、この申し出にあたふたしてしまいます。しかも、ロバートはわざわざロサンゼルスから空路ヴァンクーヴァーに向い、この曲を2人で書き上げたのだそうです。

以上からして、本曲のサビ部分に登場する≪cuts like a knife≫という語が、偶然に使用されたものでないことにお気付きいただけるかと思います。ちなみに、もっと面白いのは、ロバートが"GOOD FOR NOTHING"においても、この≪cuts like a knife≫という語を使用しているということです。もちろん、ブライアン・アダムスの"CUTS LIKE A KNIFE"よりも後に、です。

しかし、一方で、肝心の歌詞の内容については、抽象的で、いささか把握しにくいものがあります。

人々は、毎日満たされない思いで過ごしているが、実は、今までの日々の生活こそ、まさに自らが追い求めてきた生活なのだ、という一種の哲学的観点が表れているような気がします。明日のことを考えても仕方がない。今日必要としていることだけを望めばいい。一瞬一瞬を大切にしよう。≪生活の中に愛を求めながら≫。と、こんな感じでしょうか。

いずれにしろ、ロバートとジム・ヴァランスのメッセージが込められていると思うのですが、決して悲観的なものではなく、一期一会的な発想がうかがわれます。

なお、この曲は、ロバートのオフィシャルでは"LOOKING FOR THE LOVE OF MY LIFE"というタイトルでクレジットされています。

06

SCHITZOID (New)
スキッツォイド (新曲)

ROBERT LAMM PARTHENON HUXLEY DAWAYNE BAILEY

この曲もボーナス・トラック。

もっとも、この"SCHITZOID"に関しましては、2002年に一度、ロバートのオフィシャル・ページにて、“レア・トラック”として紹介されたことがあります。その際、ロバートは、以下のようなコメントを付してくれています。

ロバート・ラム本人のコメント

この曲は、80年代の中期にとりかかった曲で、私が持っていたバンドの方向性やソロ志向について振り返って語ったものです。私はコーラスの人選に行き詰まって、友人のパーセノン・ハクスリーを起用することになり、最後まで手助けしてもらいました。この曲は、アルバム『IN MY HEAD』(99年)の初期段階で製作された曲で、ニューヨークにてジョン・ヴァン・エプスがプロデュースしたものです

製作年代が長きにわたっているため、このコメント中にある「ソロ志向」というのは、いつ頃のものなのか、判然としません。

とりあえず、サウンドとして出来上がったのは、どうやら90年代に入ってからのようです。たしかに、曲調はそんな感じがします。但し、そのサウンドの中には、『シカゴXIV』の"MANIPULATION"のようなスリリングなリズム感が継承されているようにも映ります。

コーラスに抜擢されたパーセノン・ハクスリーなる人物は、LAを拠点とするミュージシャン。ソロとして、または、P.HUXというバンドを率いてもその活動を展開中です。ギターを操りますが、近年は曲作りやプロデューサー業にも精を出しているようです。なお、ロバートのソロ4作目『SUBTLETY & PASSION』においても、"YOU'RE MY SUNSHINE EVERYDAY"を共作しています。

一方、ジョン・ヴァン・エプスは、本アルバムのプロデューサー。結構何でもこなしちゃうタイプの人のようですが、主にキーボード関係を担当し、打ち込みのプログラミングなんかも分野としているみたいです。


ところで、この曲に関しては、クレジットをめぐってちょっとした悶着がありました。

ロバートは、当初、この曲を自身とパーセノン・ハクスリーの2人の共作品として扱っていました。ところが、今回の『TOO MANY VOICES』への追加収録にあたって、シカゴの元ギタリスト、ドウェイン・ベイリー側から、以下のような主張がなされたのです。

この曲(="SCHITZOID")のオリジナル・タイトルは"SHUT YER MOUTH"で、作曲には自分(=ドウェイン)も関わっています。それはデモ・バージョンを聴いてもらえれば分かります。とくにBセクションは自分の作です」というのです。

これに対して、ロバートは自身のフォーラムにて次のように述べています。

実は、もともと"SCHITZOID"というタイトルが一番最初にあったのです。歌詞も音楽もほとんど私が書きました。そして、そうです、Bセクションはドウェインによるものです。そのあと、最後にパーセノン・ハクスリーが加わりました。それらすべてが完了してはじめて、"SHUT YER MOUTH"という名でコピーライトされた、という次第です。ついうっかり確認し損なってしまいました。気付くのが遅かったですね。ドウェインのおかげです。彼も共作者です。早速クレジットに追加しておきます」と。

その通り、すぐさまドウェイン・ベイリーの名も共作者として追加された、というのが事の次第です。


ちなみに、題名の≪schitzoid≫は、周知の通り、日本では今、その訳語が再考されており、2002年6月29日には、日本精神神経学会が従来の語から「統合失調症」と呼称を変更することを発表しています。今後はこの語をもって訳語とするような運用が広まるものと思われます。

この言葉に関して、もちろん、ロバートに深い意味があったとは思えません。あくまで、自分の極度の精神状態を表現したものなのでしょう。それほど、ロバートにとっては辛い時期があったわけです・・・。

07

WILL PEOPLE EVER CHANGE ?
ウィル・ピープル・エヴァー・チェンジ?

ROBERT LAMM

いきなりのジャンク風サウンドに面食らった方もいらっしゃるかもしれません。

ありふれた日常の光景が淡々と語られていきますが、これらは、すべての生活が“カネ”を媒介として成り立っていることを指摘したものではないでしょうか。今は、あらゆるサービスが仕事の対象となりますが、本来、個々人の生活活動と思われるようなことにまで対価を払ってその仕事を成り立たせています。考えてみれば、それは不思議なことです。そんな皮肉とも、また、悲しき資本主義の側面ともとれるような情景を描き出しているように映ります。

こんな果てのない連鎖の中で生活する人々。≪人々はやがて変わるのだろうか?≫。混沌とした現代に対する素朴な疑問。そんな猥雑な雰囲気をかもし出すには、このジャンク的なイントロは一応の成功を収めていると言っていいでしょう。

ところで、本曲の製作時期は多年にわたっています。CDのクレジットには1993年と1999年の両年が併記されている一方、ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトでは、これが1995年と記されています。つまり、1993年に製作された前作『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』のセッション中か、もしくはその後からとりかかった作品のようです。この90年代は、ロバートがニューヨークに生活の本拠を置いたこともある時代です(現在もそうなのかは不明)。その点からすると、この曲に表れる無機質な人々の仕事ぶりは、ニューヨークという大都会がモデルとなっていると見るのが穏当でしょうか。

08

THE HEART OF ME (New)
ハート・オブ・ミー (新曲)

ROBERT LAMM BILL GABLE

今回の再発にあたって追加されたボーナス・トラック。

09

THE BEST THING
ベスト・シング

ROBERT LAMM PHOEBE SNOW

フィービ・スノウとのデュエット。

フィービ・スノウは、ニューヨーク生まれのシンガーソングライター。74年デビュー。ロバートとのデュエットでもお分かりいただけるように、ダイナミックな歌声に魅了されます。80年代に一時シーンから遠ざかりますが、90年代以降、多くのアーティストのリスペクトを受け、セッション参加などに精を出します。2003年には久々のニュー・アルバムをリリースしたりもしています。

ロバートは、90年代の初頭に再び、生まれ育ったニューヨークで暮らすようになりましたが、この頃、シカゴの面々とも交流のあるジェラルド・マクマホンの紹介で、このフィービ・スノウと知り合いになったということです。

曲の内容は、正直把握できそうで、できません。何が≪ベスト・シング≫なのか、分からないのです。生まれ変わった男の恋の物語かとも思うのですが、まったく確信が持てません。

ちなみに、歌詞には≪the fourth of July≫という一節がさりげなく用いられています。

10

IF EVERYBODY KNOWS (New)
イフ・エヴリバディ・ノウズ (新曲)

ROBERT LAMM PHIL GALDSTON

今回の再発にあたって追加されたボーナス・トラック。

以前にロバートは、この曲を“レア・トラック”としてオフィシャル・ページにてプレビュー提供していました。そのときのコメントが以下の文です。

ロバート・ラム本人のコメント

私は90年から91年にかけて、このムーディーな曲にとりかかりました。いくつか書き直したところもあります。この曲は、アルバム『IN MY HEAD』(99年)の初期段階でジョン・ヴァン・エプスと一緒に録音しました。しかし、私はかつて、この曲のインストゥルメンタル・パートがとても嫌いでした。とはいえ、まるでクリス・アイザックが演奏してるかのような感じがして気には入ってるんですけどね・・・

上記コメントにあるように、この曲も、『IN MY HEAD』をプロデュースしたジョン・ヴァン・エプスが関わった90年代の作品です。歌詞は、以前ロバートのオフィシャル・ウェブサイトに掲載されていましたが、実際の曲とは多少誤差があるようです。これが本人の言う「書き直し」に負うところではないでしょうか。

クリス・アイザックは、日本ではあまり馴染みがありませんが、80年代後半から台頭してきたシンガーです。50年代的なオールド・スタイルを取り入れた曲作りに特徴を持ちます。91年にヒットした"WICKED GAME"は、2001年秋にジャガーXタイプのCMにも使用されました。何とも言えない、けだるいような、艶っぽいような、という曲調なので、印象に残ってる方もいらっしゃるかもしれません。

ところで、いつぐらいからでしょうか、ここ数年、“AAA”(=トリプルA)という新しいジャンルが登場してきています。これは、“アダルト・アルバム・オルタナティヴ”の略語で、だいたい25歳から45歳くらいまでの大人が好む軽めのロックを指しています。上記のクリス・アイザックも、2002年、ニュー・アルバム『ALWAYS GOT TONIGHT』をリリースし、最近ではこの新ジャンル“AAA”に分類されることも多いようです。

なお、細かい話になりますが、ここにいう“AAA”の用語について、日本では、“アダルト・オルタナティヴ・アルバム”と、アルバムの語が最後に来る形で紹介されることがあるようです。私自身、どちらが正確なのか判然としません。その点、申し添えておきたいと思います。

11

SLEEPING IN THE MIDDLE OF THE BED
スリーピング・イン・ザ・ミドル・オブ・ザ・ベッド

ROBERT LAMM JOHN McCURRY

この曲は、当初、シカゴの『STONE OF SISYPHUS』(94年発売予定。2008年発売)に収録される予定でした。

しかし、ご承知のようにこのアルバムは発売が見送られてしまい、のちに、本作の改題前のアルバム『IN MY HEAD』(99年)に収録されるに至ったのです。そのときは、末尾に≪(AGAIN)≫という言葉が付されていたのですが、2004年、『TOO MANY VOICES』として再編成される段になって、なぜかこれが省略されてしまいました。

『STONE OF SISYPHUS』バージョンでは、ピーター・ウルフがプロデュースしていました。力強いドラミングで始まり、ブラスもギターも縦横無尽に活躍しています。

これに対して、『IN MY HEAD』バージョンの方は、ジョン・ヴァン・エプスがプロデュース。もっぱらヴァン・エプスによるプログラミングがバックを支え、ブラスはありません。ロバートの音楽の延長だとこうなるのかな、という感じです。

共作者のジョン・マッカリーは、ロバートのソロ第2弾『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』において、ギターやバックボーカルで参加していた人物です。


ところで、ロバートはこの曲を書いた頃(少なくとも90年代前半)、ロサンジェルスからニューヨークに居を移していたようです。

なるほど、大都会独特の混沌とした光景が描かれています。その昔、シカゴは都会の喧騒を離れ、ロッキー山麓(カリブー・ランチ)にレコーディングの本拠を置きましたが、それと同じような住環境の変化が、90年代のロバートに関してはあったというわけです。アーティストにとって刺激は常に必要だということでしょうか。


はたして、「シカゴはラップだけはやらないだろう」とい私の固定観念は、この曲によって見事に打ち砕かれました。それも、シカゴなりに取り込んでいるところがさすがだと思うのです。

このとき、こういう作風が今後も続くかと言えば、そんなことはないだろう、とタカをくくっていたのですが、その後も多少の影響はあったようです(例:"IT'S A GROOVE, THIS LIFE")。今ではこういった曲調にすっかりハマってる私も私ですが―――。

なお、途中サンプリングされているのは、ラスト・ポエッツ(LAST POETS)の"NEW YORK, NEW YORK"と"WAKE UP NIGGERS"の2曲です。

このラスト・ポエッツは、貧しいハーレムから出た黒人グループで、60年代後期から活動を開始したとのことです。音楽的には、今で言うヒップ・ホップないしラップを基調とした、いわゆるプロテスト・ソングを主流とする模様。サンプリングに使用された上記2曲は、彼らのファースト・アルバム『THE LAST POETS』(70年)に収録されていました。

12
SWEPT AWAY
スウェプト・アウェイ
ROBERT LAMM BRUCE GAITSCH

再びフィービ・スノウとのデュエット。

曲は、シカゴ関連ではおなじみのブルース・ガイチとの共作品。しかし、クレジットで見る限り、後半に流れる鮮やかなアコースティック・ギターの調べはどうやらブルース・ガイチ本人ではなく、スタジオ・ミュージシャンによる模様。

ややスロー・テンポな曲調で語られるのは、メルヘンチックな恋のゆくえ。夢にまで見た男の子に出会えたことを神に感謝する少女。一方、男の子の方も、彼女の息遣いを感じ、胸が高鳴ります。この淡い恋心は永遠に続きます。そう、そこには、まさに≪論理も要らない≫し、≪理由も要らない≫のです。

ちなみに、ロバートは、この曲をウェディング・ソングに推奨しています。

13
LOVE YOU TONIGHT (New)
ラヴ・ユー・トゥナイト (新曲)
ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

今回の再発にあたって追加されたボーナス・トラック。

14
SACRIFICIAL CULTURE
サクリフィシャル・カルチャー
ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

発達した文明社会。生活は物質的に豊かになり、災厄からも免れるようになりました。しかし、一方で、精神的な安定は得られていないのではないだろうか―――?そんな≪犠牲を強いる文化≫の中で必要とされることは何か?ロバートは、そんなときこそ、≪真実に立ち返れ≫と叫びます。

ちなみに、ロバートは、この曲に関するファンからの質問に対して、「(これは)自ら強迫観念に取りつかれた文化(について書かれたものです)。我々すべての人たちが、目には見えない何かを感じ取ろうとしなければならないのです」と答えています。

15
GOOD LOVIN' AIN'T EASY TO COME BY (New)
グッド・ラヴィン・エイント・イージー・トゥー・カム・バイ (新曲)
NICKOLAS ASHFORD VALERIE SIMPSON

今回の再発時のボーナス・トラックですが、やはり、以前に、ロバートは、オフィシャル・ページにてこの曲を“レア・トラック”として紹介してくれています。

ロバート・ラム本人のコメント

このマーヴィン・ゲイとタミー・テレルによる曲のカバーは、遊び半分に録音したものです。それはまた、アルバム『IN MY HEAD』における、フィービ・スノウとのデュエット・ワークがどのような感じになるのかをチェックするためのものでもありました。これもジョン・ヴァン・エプスのプロデュースによります

この曲は、ソウル界の名コンビ、アシュフォード&シンプソンのペンによる作品。マーヴィン・ゲイは、69年にこの曲をシングル・カットしています(試聴はこちら)。

“愛の伝道師”マーヴィン・ゲイを今更説明するまでもないでしょうが、39年生まれの彼は、はばかることのないセクシャルな歌詞で人気を博し、まさに60年代から70年代にかけてのモータウンの黄金時代を築き上げた1人です。しかし、残念なことに、84年の彼の誕生日の前日、実父との口論がエスカレートし、その父親に銃で撃たるという悲劇的な最期を迎えています。れるという悲劇的な最期を迎えています。

一方、このマーヴィンの良きデュエット・パートナーであったのが、タミー・テレルです。60年代後期のマーヴィンの曲において、彼女の声が非常によく聴かれます。しかし、彼女も、若くして亡くなりました。この曲がヒットした翌年の70年に急逝しています。

話は変わり、このロバート・ラムによるカバー・バージョンは、そのマーヴィンのオリジナル・バージョンにほぼ忠実で、ソウルフルな仕上がりになっています。とくに、90年代半ばに録音したと思われるのにもかかわらず、イントロなどが70年代風で、どこか懐かしさを感じさせてくれます。

このカバー・バージョンでロバートとデュエットしているのが、フィービ・スノウ。彼女は、52年生まれで、70年代中期から音楽シーンに登場します。80年代初頭を最後にしばらく音沙汰がなくなりますが、89年からカムバックし、地道な活動を継続しています。また、90年代には、マイケル・マクドナルドなどと交流があったようです。

上記コメントにあるように、ロバートがフィービとのデュエット・ワークを本曲で試した成果が、"THE BEST THING"と"SWEPT AWAY"となって現れます。しかし、相性を確かめるための試し録音的な認識が強かったとみえ、本曲"GOOD LOVIN' AIN'T EASY TO COME BY"は、初出『IN MY HEAD』には収録されませんでした。それがこの『TOO MANY VOICES』として再発される際に追加収録されたことは、誠に喜ばしいの一言です。

Good lovin' ain't easy
Good lovin' ain't easy
Good lovin' ain't easy to come by

Oh, darlin', that's the kind you offer me
It's just the love to be found
'Cause we're workin' on a buildin' nobody can tear down
Look what we've got, ho-ho-ho-ho-ho

Good lovin' ain't easy, my darlin'
Good lovin' ain't easy
Good lovin' ain't easy to come by, oh no no

I've tried the good life and I know
It's a playground where no one cares
But at last you'll find out that don't compare
To what we've got, ho-ho-ho-ho

It takes more than just a song and dance
You've got to work and fight to give it a chance

If the rain comes down on us
And there ain't no place to run
We'll just cover ourselves with a blanket of love
And wait till the mornin' comes

Oh baby, let's do it today
Inflection
Give us protection

Good lovin' ain't easy to come by

Some think it's a plaything
You can toss away when it's old
But when love's valued in pieces
It's worth more than gold
That's what we've got

Good lovin' ain't easy to come by
Oh, darlin'

Good lovin', Good lovin', Good lovin'
Good lovin' ain't easy to come by
Good lovin' ain't easy to come by

16

WATCHING THE TIME
ウォッチング・ザ・タイム

GERRY BECKLEY

ロバート・ラムが、アメリカのジェリー・ベックリー、ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンと共に、“ベックリー・ラム・ウィルソン”というプロジェクトを結成するキッカケとなった曲です。

ロバートが、この曲に出会った時期は、91年頃と意外に早く、ソロ2作目『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年発表)のレコーディング中のことでした。

その後、99年になって、『IN MY HEAD』に収められることになり、さらには、翌2000年、ベックリー・ラム・ウィルソン名義の『LIKE A BROTHER』にも収録されるに至ります。

なお、ジェリー・ベックリー作の原題は、"WATCHING THE TIME"でしたが、『IN MY HEAD』収録時には、"WATCHING THE TIME GO BY"と、≪GO BY≫が付加される形で表記がなされました。ところが、2004年、『IN MY HEAD』が本作『TOO MANY VOICES』として再発売されると、また原題通り、"WATCHING THE TIME"に戻ることになります。さらに、2005年に発売されたロバート初のライヴ・アルバム『LEAP OF FAITH』おいても、"WATCHING THE TIME"としてクレジットされています。

本作と同じ『IN MY HEAD』バージョンでは、出だしがロバート、途中からジェリー、最後をカールがそれぞれリード・ヴォーカルを担当するというリレー形式で構成されています。しかも、エンディングが長く、演奏時間も4分36秒となっています。

これに対して、『LIKE A BROTHER』バージョンの方は、全般にわたってジェリーがリード・ヴォーカルをとっています。演奏時間も3分51秒に縮まりました。イントロからも分かるように、ミックスなども多少変えてあります。

また、この両者は、歌詞の一部に違いがあります。実は、どちらが原詩なのか判然としないのですが、1991年からとりかかっていた『LIKE A BROTHER』バージョンの方が先だったと見るのが無難のように思えます。そうすると、『LIKE A BROTHER』バージョンでは≪I was strengthened when I first heard the music≫だった部分が、『IN MY HEAD』バージョンにおいて≪I was strengthened by the birth of the Beatles≫と変化するに至った、と解釈することになりそうです。

誰でも幼少の頃は自我がなく、周りの友達や家族の導くままに行動してしまいますが、この曲の中では、やがて音楽との出会い(『IN MY HEAD』バージョンではビートルズの音楽との出会い)が人生を変えることになったと語られています。自分の目指すものがハッキリするのです。以来、≪時が移ろいで行くさまを眺めながら≫、音楽と共に過ごしてきた人生を、感慨深くかえりみている、そんな情景が目に浮かびます。