ディスコグラフィ   ベックリー・ラム・ウィルソン

LIKE A BROTHER (2000/6)
BECKLEY-LAMM-WILSON

曲目 ライク・ア・ブラザー
ベックリー・ラム・ウィルソン
総評

試聴♪

Produced by PHIL GALDSTON
with BECKLEY-LAMM-WILSON (01、02、03、04、08、09、
10、12、13)
with STEVE LEVINE (05、06、07)
with JOHN VAN EPS (11)

曲目
01 TODAY トゥデイ
02 FEEL THE SPIRIT フィール・ザ・スピリット
03 I WISH FOR YOU アイ・ウィッシュ・フォー・ユー
04 RUN DON'T WALK ラン・ドント・ウォーク
05 WATCHING THE TIME ウォッチング・ザ・タイム
06 LIFE IN MOTION ライフ・イン・モーション
07 SHELTERING SKY シェルタリング・スカイ
08 THEY'RE ONLY WORDS ゼイアー・オンリー・ワーズ
09 WITHOUT HER ウィズアウト・ハー
10 LIKE A BROTHER ライク・ア・ブラザー
<国内盤ボーナス・トラック>
11 STANDING AT YOUR DOOR スタンディング・アット・ユア・ドアー
12 BLUE AFTER ALL ブルー・アフター・オール
13 IN THE DARK イン・ザ・ダーク
総評

BECKLEY-LAMM-WILSON。すなわち、アメリカのジェリー・ベックリー、シカゴのロバート・ラム、ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソン、このそうそうたるメンバーによって実現したプロジェクト・アルバム。

当初は、94年に急逝したニルソンへのトリビュート目的で集合したのがそもそものはじまりだと思っていましたが、どうやら違ったようです。

キッカケは、アーティスト同士の共演を促すのが好きな(?)プロデューサーのフィル・ラモーンが、91年、ロバートのソロ第2弾『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年発表)のレコーディング作業中に、ジェリー・ベックリー作の"WATCHING THE TIME"のデモ・テープを持ち込んだことにさかのぼるとのこと。

そして、その後もお互い忙しい合間を縫ってこのプロジェクト作業を続行したというわけです。その過程で、上記のようにニルソンが亡くなるというショッキングなニュースがあり、彼へのトリビュートの依頼がたまたまこのプロジェクト宛に舞い込んできた、というのが真相らしいのです。

ともあれ、いずれもスケジュールが過密な人たちであるために、本当のはじまりである91年からは驚きの9年が経過し、95年発表のニルソンへのトリビュート盤で一般にもこのプロジェクトの存在が知れ渡ってからでさえ実に5年の時を要したアルバムです。

しかし、何という皮肉でしょうか。途中、プロジェクトの一員であるカール・ウィルソンが天に召されてしまい、結局、これが最初で最後のアルバムとなってしまいました・・・。

その意味では、カールへのトリビュート色も強く、カールがリード・ヴォーカルをとってる作品が一番多く収録されていることからもそのことがうかがわれます。

なお、日本では、契約関係の不存在から当初は国内盤の発売はなく、丸1年経った2001年6月になってようやくリリースされるに至りました。この場を借りて、関係者のみなさんに厚く御礼申し上げます。

ちなみに、楽曲11〜は日本盤のみのボーナス・トラックです。また、このボーナス・トラックについては不明ですが、その他の1〜10ではシカゴのジェイソン・シェフが全編にわたりベースを担当してます。13は日本盤のみのボーナス・トラックです。また、これらボーナス・トラックについては不明ですが、その他の1〜10ではシカゴのジェイソン・シェフが全編にわたってベースを担当してます。

その他、収録曲のレコーディング順ならびに3者の関わりあった作品などについてはこちらへ。

Q&A ベックリー・ラム・ウィルソンの参加作品
01

TODAY
トゥデイ

JOHN WAITE PHIL GALDSTON

いきなりジョン・ウェイトの作品です。これには驚きました。

彼はイギリスのベイビーズというバンドを経てソロに転向、84年に"MISSING YOU"の大ヒットを飛ばします。ちなみに、この曲の共作者は『シカゴ19』のプロデュースにも関わったチャス・サンフォードでした。

このジョン・ウェイトは、後の89年、バッド・イングリッシュを結成し、またまた"WHEN I SEE YOU SMILE" のNO.1シングルを生み出します。不思議なもので、このときの作者は、なんとダイアン・ウォーレンでした。不思議というより、この時期、ジョン・ウェイトがアメリカの西海岸に活動の拠点を置いていた、ということなのかもしれません。

地球の胎動を思わせる神秘的なイントロで始まるこの曲は、カールがメイン・ヴォーカルを担当。≪世界がどうなろうと僕はここに留まる。なぜなら今日は愛(=キミ)が僕のものだから≫という、生活感と壮大なストーリーが交錯する作りとなっています。

02

FEEL THE SPIRIT
フィール・ザ・スピリット

ROBERT LAMM PETER WOLF PHIL GALDSTON

当初、私は、この曲をもって、おそらく、友人(女性?)を傷つけたことへの苦悩を綴った曲と解釈しました。

しかし、一説によれば、これは拳銃の暴発事故でこの世を去ったメンバーのテリー・キャスへのトリビュートだというのです。

にわかには信じられなかったのですが、あらためて歌詞を見直してみると、なるほど、たしかに思い当たる節はあります。≪my knees were shaking≫、≪my heart was breaking≫、≪Then the news came in≫、≪I can't say how many nights I cry≫、≪my gentle friend≫、≪All the pain was such a load≫、≪There was no joy in playing≫などなど、テリーの突然の他界に結び付く歌詞は山ほどあるのです。この点は、われながら迂闊でした・・・。

テリーが亡くなったのが78年。この曲を書いたのが93年頃(但し、録音は94年)。この間、15年。人が悲しみを乗り越え、冷静に振り返ることのできる年月に相当しましょうか。

ただ、この15年という月日が、ロバートを前向きにさせているのかもしれません。それは、悲しみに浸りながらも、≪New day coming to life≫と歌っているからです。このフレーズは、テリーのいない日々が来ることを示唆するものでしょうが、反面、それを受容し、前向きに向かっていく覚悟の表れと取りたいものです。

なお、本曲"FEEL THE SPIRIT"の中では、≪Can you feel the spirit, feel the spirit?≫というジェリー・ベックリーの優しいバック・コーラスがとても印象的です。

03
I WISH FOR YOU
アイ・ウィッシュ・フォー・ユー
CARL WILSON ROBERT WHITE JOHNSON PHIL GALDSTON

最初聴いたときに、カール・ウィルソンのこのハート・ウォーミングなヴォーカルに涙があふれそうになりました。

それはそうです。このアルバムが発表される前にカールは天に召されてしまい、そして、この内容です。

その内容とは、一言で言えば、“優しさ”でしょうね。ロバートとジェリーが回想気味な曲を書いてる傍(かたわ)らで、病魔が忍び寄っていたに違いないカールがとても前向きに、そして、いつもいつも他人のことを思いやっている様がヒシヒシと伝わってきて、もうそれだけで胸が一杯になってしまいます。

こういう心境で最期を迎える結果となったカールの人となりが偲ばれます。本作は3曲目にして最高の聴き所を提供してくれました。≪I WISH FOR YOU≫という言葉はまさにカール自身に捧げたい言葉です。

04

RUN DON'T WALK
ラン・ドント・ウォーク

CARL WILSON PHIL GALDSTON

前曲"I WISH FOR YOU"の後だからこそ、こういう曲が欲しかったですね。本アルバム中、群を抜いてポップな仕上がりとなってます。

このキーボード・プログラミングはフィル・ガルドストンによるものなのでしょうか。リズムがあっちこっちに散らばるような構成が、彼女を待つ歌の主人公のハラハラドキドキ感をとてもよく表現してるように思います。しかも、後半の盛り上がり部分ではおそらくティミー・カペロによるものと思われるサックスの演奏が実に軽快に鳴り響いてます。

それと、特筆したいのがここでのカールのヴォーカル・スタイルです!はじめてこの曲を聴いたとき、ピーター・セテラのヴォーカルにとてもよく似てると思いました。とくに、サビの部分、≪You say〜、So if〜、And if〜≫の“コブシ”の入れようはまさにピーター調。

カールはビーチ・ボーイズの一員として60年代初頭より活躍し、その影響は他のアーティストにも当然及んでいます。60年代中期から本格的に音楽活動を開始したピーターももちろん、ビーチ・ボーイズに感化されています。実際、シカゴの『シカゴVII(市俄古への長い道)』、『シカゴ XI』、そして、ピーターのソロ『夢のライムライト』などにおいては、ピーターのラヴ・コールにより2人は共演を果たしています。つまり、正確には、ピーターの方がカールのヴォーカル・スタイルに影響されたと言っていいでしょう。

しかし、この“コブシ”のように特定の単語のところで力を入れて歌うスタイルは、ビーチ・ボーイズでのカールのスタイルとしてはあまり目立たなかったように思います(そもそもがコーラス・グループでしたから・・・)。むしろ、この“コブシ”という節回しは、ピーター特有のもののような気がします。

つまるところ、お互いの交流を通じて、無意識的にそれぞれ自らのヴォーカル・スタイルに磨きをかけていった、そんな切磋琢磨の光景が想像されて仕方がありません。それに、もしかしたら、もともと2人の声質は似てるのかもしれませんね。

しかも、歌詞の内容が≪キミは来てくれると言うけど、話だけじゃダメだよ。来るなら、歩かず、走ってきてくれ≫とやや女々しい男の心情ときたもので、ピーターお得意の分野。もうこうなると、ぜひともピーターに歌わせたくなるような内容でして・・・。

05

WATCHING THE TIME
ウォッチング・ザ・タイム

GERRY BECKLEY

そもそも、B-L-Wが集うキッカケとなった曲です。

91年、ロバート・ラムのソロ2作目『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年発表)のレコーディング中に、プロデューサーだったフィル・ラモーンが持ち込んだデモ・テープこそ、ジェリー作のこの"WATCHING THE TIME"(便宜上#1)だったのです。しかも、驚いたことに、もうこの時点で3人で吹き込んだようです。ところが、ロバートは上記ソロ『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』を自作曲のみで仕上げたかったため、同アルバムには収録されませんでした。

時は流れ、この曲は、99年発表のソロ3作目『IN MY HEAD』に"WATCHING THE TIME GO BY"(便宜上#2)と≪GO BY≫の語が付加されて収録されるに至ります。そのときは、出だしがロバート、途中からジェリー、最後をカールがそれぞれリード・ヴォーカルを担当するというリレー形式でした。しかも、エンディングが長く、演奏時間も4分36秒となっています(ちなみに、このロバートのソロ第3作『IN MY HEAD』は2004年に『TOO MANY VOICES』と改題されて再発されています。このときに、再び"WATCHING THE TIME"と≪GO BY≫の語が省略される形で収録されます)。

そして、翌2000年になり、タイトルは元通り"WATCHING THE TIME"のまま(便宜上#3)、本アルバム『LIKE A BROTHER』で聴くことができるようになりました。今度は#2と異なり、全般にわたってジェリーがリード・ボーカルをとっています。演奏時間も3分51秒に縮まりました。イントロからも分かるように、ミックスなども多少変えてあります。

以上から判断して、#1と#3はほぼ同じと考えていいのではないでしょうか。実際、この#1と#3だけではなく、#2についても、歌詞自体はほとんど一緒です。

但し、#3の『LIKE A BROTHER』バージョンで≪I was strengthened when I first heard the music≫とされていた部分が、#2の『IN MY HEAD』バージョンにおいては≪I was strengthened by the birth of the Beatles≫となっています。

どちらが原詩なのか判然としませんが、1991年からとりかかっていた『LIKE A BROTHER』バージョン(=#1、#3)の方が先だったと見るのが無難でしょうか。

誰でも幼少の頃は自我がなく、周りの友達や家族の導くままに行動してしまいますが、この曲では、やがて音楽との出会い(『IN MY HEAD』バージョンではビートルズの音楽との出会い)が人生を変えることになったと語られています。自分の目指すものがハッキリするのです。以来、≪時が移ろいで行くさまを眺めながら≫、音楽と共に過ごしてきた人生を、感慨深くかえりみている、そんな情景が目に浮かびます。

ちなみに、ジェリーは、この#3の共同プロデューサーであるスティーヴ・レヴィンと、アメリカの『ENCORE:MORE GREATEST HITS』(91年)においても一緒に仕事をしてます。

06
LIFE IN MOTION
ライフ・イン・モーション

ROBERT LAMM GERARD McMAHON

≪小さい頃は貧しくて失う物など何もなくても、カネで買うことができない物はたくさん持っていた。そんな境遇でも、現実を悟ればなんとかやって行くことができる≫、まさに、≪人生は動いている≫、そんな人生の哲学とも言えるものを歌詞に託した内容だと思われます。

ロバートは元来、自分の感じたものを日々の事実を通して表現する、という独特の叙事詩的な作風を得意としています。ここでもその真骨頂と言えるものがありますが、その事実は、珍しく少年の体験を通じて語られています。しかも、≪人生は動いている≫わけですから、それにあわせて、都市の変遷の様子が描かれているところがなんともニクイ。年輪の積み重ねが成せる技(=曲作り)とでも申せましょうか。

さて、問題は「この少年のモデルは?」ということですが、単純に考えれば、やはりロバート少年なのでしょう。本当は違うのかもしれませんが、少年期をニューヨークのブルックリンで過ごしたロバートの目から見たものが歌から伝わってくるような気がするからです。これが当たっていれば、ロバートは相当過去の事実に基づいた叙事詩を書いたというわけです。

曲中、少年の友達の名前が出てきますが、これを録音したと思われる93年から94年に、前後して作成されたロバートのソロ2作目『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年)でも人の固有名詞がよく出てきます。さらに後年、『SUBTLETY & PASSION』(2003年)に収められた"IT'S A GROOVE, THIS LIFE"でも同様の傾向が見られます。この辺は実に興味深いところです。

ちなみに、この"LIFE IN MOTION"は、もともとはロバートのソロ用にストックされていた楽曲のようです。

なお、共作者のジェラード・マクマホンは、シカゴの『21』においても"ONE FROM THE HEART"と"ONLY TIME CAN HEAL THE WOUNDED"でロバートをサポートしています。彼はシカゴの弟分として76年頃デビューしたジェラード(GERARD)という10人編成のバンドのリーダーでした。そのときのプロデューサーもジェイムズ・ウィリアム・ガルシオでした。また、マクマホンは、ロバートの『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』ではバック・ヴォーカルも務めています。ところで、このジェラード・マクマホンですが、ときにはGERARD McMANNと短縮して名乗ったり、G TOM MACと格好良く名乗ったりして(“G”はGERARDから、“TOM”はミドル・ネームのTHOMASから、“MAC”はMcMAHONから、それぞれ来ています)、現在も精力的にバンド活動をしています。nt>

07

SHELTERING SKY
シェルタリング・スカイ

GERRY BECKLEY

ジェリー・ベックリーが作った曲であるためか、ロバート・ラムもつられてジェリーのヴォーカル・スタイルよろしく、優しく、ささやくように歌っています。

イントロが長く、宇宙的なイメージで、かつ、ボリュームを大きくすると何やらナレーション的な声やノイズもサンプリングされてます。

さて、内容ですが、よく分かりません・・・。ともすれば死後の世界を思い起こさせるようにも聴こえますし、単に恋の破局を歌ったもののようにも思えます。それとも、永遠に愛が守られる場所としての“空”を表現したかったのでしょうか。

いずれにしろ、ジェリーの詩は内的な洞察力を反映したものが多く、その心象風景を表現する作風は随一のものがあります。

08

THEY'RE ONLY WORDS
ゼイアー・オンリー・ワーズ

CARL WILSON PHIL GALDSTON

自分がしてきた約束も守らなければ意味がない。≪ただの言葉にすぎなかったんだ・・・≫。若気の至りで突っ走ってきたけど、気付いてみればキミはもういない、という内容だと思います。

カールの温かいヴォーカルで歌われると、後悔の念に駆られた主人公にもう一度チャンスをあげたくなります。

コーラスの構成はいかにもカール主導による絶妙なバランスが保たれています。

09

WITHOUT HER
ウィズアウト・ハー

HARRY NILSSON

もともとは、94年1月15日に心臓発作のため惜しまれつつ他界したニルソン(享年52歳)へのトリビュート・アルバム『FOR THE LOVE OF HARRY : EVERYBODY SINGS NILSSON』(95年)に収録されていた曲です。

彼ら“BECKLEY-LAMM-WILSON”の名が世に知れ渡ったのも、このニルソンへのトリビュート話があった頃からでしょう。

しかし、冒頭の総評にあるように、実際には、このB-L-Wプロジェクト自体は、これより先に進行していたわけです。むしろ、この"WITHOUT HER"は、B-L-Wとしては、最後の方の録音だったようです。

もっとも、アルバム『LIKE A BROTHER』に表記されてるクレジットは最終的な編集を経たときを基準にしてるせいか、そのほとんどが2000年となっています。これには以下のような事情が考えられます。つまり、実際の録音は、もちろんカールの体調の良いとき、おそらく95年中までにはほぼ完了していたようです。しかし、カールの死を経て、その後も、レコード会社からの要請により、ロバートとジェリーが何回か細部の手直しのためにスタジオに入った関係上、2000年と表記されたものと推測されます。

さて、話は上記ニルソンのトリビュート盤『FOR THE LOVE OF HARRY : EVERYBODY SINGS NILSSON』に戻ります。このアルバムは、日本では入手が難しく、私自身も、発売後しばらくすると、その購入をすっかりあきらめてしまいました。

ところが、一方で、3人がB-L-Wとしてアルバムを作成する予定だ、という情報が入ってきたのです。思わず、「やったー!」と期待に胸を膨らませました。私はこの3アーティストとも好きでしたから、まさに夢のような共演だったわけです。

しかし・・・、一向に出る気配はありません。「なんなんだよ〜、一体!?」という心境です。途中、ジェリーやロバートのソロアルバムはリリースされるものの、B-L-Wについては「なお進行中」とのコメントがなされるのみでした。

そうこうするうちに、決定的な情報がもたらされます。すなわち、“カールの死!”という衝撃的な情報でした(98年2月6日、肺がんによる合併症のため逝去。享年51歳)。

この記事を新聞で読んだときは、ショックでショックで、「あ〜、もうダメだー」と、「これで完全に希望もついえたか・・・」と思いました。実際この時点でもう完全に諦めました。

しかし、現実とは奇妙なもので、もしかしたら、このことによってエンジンがかかったのかもしれません。

ようやく2000年になって、“『LIKE A BROTHER』リリース決定!”のニュースが飛び込んできました。何度も裏切られてきたので、まさに半信半疑でしたが、今度はちゃんと日付(2000年6月20日)まで確定してました。「えー、ウッソ〜」って感じです。

ただ、その時点で、国内盤発売の予定はなかったので、手に入れるのに四苦八苦しました。結局、人に買ってきてもらうというまったくの他力本願で手にすることができたのです。

そして、2001年6月21日、つまり、ちょうど1年の時を経て、罪作りなこのアルバムの日本国内盤がリリースされるに至ります。

というわけでして、このアルバム『ラ』については、とてつもないい入れがあります。LIKE A BROTHER

さて、肝心の曲の方は、ジェリーがリード・ヴォーカルを担当しています。オリジナルのニルソンと比べても遜色ないのは、ジェリーのこの内省的な声質のおかげでしょう。"I NEED YOU"のジェリーだからこそ、この独特の雰囲気をかもし出せるのだと思います。とくに≪We burst the pretty balloon It tooks us to the moon Such a beautiful thing But it's ended now 〜≫あたりの盛り上がり部分が聴きどころです。なお、その他歌詞についての疑問はこちらへ。

主人公は≪彼女なしじゃやっていけない≫という少々弱めの男ですが、元来男の方が寂しがり屋なのかも?と思うのです。

ところで、ありがたいことに、のちに、『FOR THE LOVE OF HARRY』バージョンを聴く機会がありましたが、どうやら同一のものと考えてよさそうです。ただ、こちらでは、曲の後半部分に次の曲のイントロがオーバーラップしているので、むしろ『LIKE A BROTHER』がリリースされて本当に良かったです。

ちなみに、ニルソンというと、どうしても"ウィザウト・ユー"や、映画『真夜中のカーボーイ』で使われた"うわさの男"(EVERYBODY'S TALKIN')を思い起こしますが、これらはともに他人の作品で、例外の部類に属します。これに対して、この"ウィザウト・ハー"はニルソン自身のペンによるもので、ブラッド・スウェット&ティアーズ(BLOOD, SWEAT & TEARS)をはじめ多くのアーティストにカバーされているように、とてもアーティスト受けする曲みたいです。

Q&A 歌詞に関する疑問

10

LIKE A BROTHER
ライク・ア・ブラザー

CARL WILSON PHIL GALDSTON

ある意味、本アルバムのハイライトです。

一番最初にリリースされた米国盤において、締めくくりの曲として選ばれた理由も察しが付くというものです。つまり、おそらく、これは、カール・ウィルソンの兄ブライアン・ウィルソンへ捧げた曲と思われるからです。

とはいえ、歌詞の大半を書いたのは、プロデューサーのフィル・ガルドストンです。彼は、2004年のアルバム再発に合わせて、ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトに、セッション・ノートとともに、この曲に関する貴重な思い出を紹介してくれています。

それによりますと、フィル・ガルドストンは、カールと共作した曲に合った歌詞を何ヶ月も模索し続けたそうです。ある日、彼は“兄弟の離別”について思いをめぐらしていると、突然、≪Love you like a brother≫(注:最終的には、≪I love you still like a brother≫に変容)というフレーズが浮かんだというのです。ここにフィルが思いめぐらしていたこととは、当然のごとく、“ブライアンとカールのこと”です。

ブライアン・ウィルソンの精神状態が不安定だったことは広く知られた事実ですが、このように自分の手には負えない難題と向き合ってきたカールに、フィルは憐憫の情を催します。

しかし、このことを歌詞で表現するのはさすがに引け目を感じたようです。あまりにもプライベートな事柄ですので。それでも、フィルは恐る恐る、その歌詞をカールに歌って聴かせます。

歌い終わると、カールは涙ぐんでフィルを抱き締めたそうです。「僕の人生を気にかけてくれてありがとう」とカールは謝辞を述べます。

劇的にも、ちょうどそのとき、電話が鳴りました。彼の奥さんのジーナが驚いて、「ブライアンからよ」と告げます。それもそのはず。なんと、それまでの数年間、ブライアンとカールの間には音信らしきものがまったくなかったそうなのです。まさに奇跡的としか言いようがない話です。


しかし、運命とはいかに数奇なものであるか―――。兄ブライアンをおいて、カールの方が先にデニスのいる世界に旅立ってしまうのです。

実は、カールのお葬式で同席したフィル・ガルドストン、ロバート・ラム、ジェリー・ベックリーの3者は、途切れ途切れに製作してきた本アルバムの発表を断念します。カール・ウィルソンなしのアルバムは考えられなかったからです。

ところが、カールの死後4ヶ月経って、友人に頼まれてこのプロジェクトのテープを掘り起こしていたフィルの頬に、熱いものが筋になって流れて行きます。フィルはすぐさまロバートとジェリーに連絡を取ります。「アルバムを完成させよう!カールのためにも」。

そして、同じくカールの死で諦めかけていた私たちの元にも、この素晴らしいアルバムが届いたというわけです。


ところで、当初、このエピソードを知らなかった私は、この曲に関して、「“晩夏”ないしは“夏の終わり”というイメージ」と語り、「おそらくは過去に隆盛を誇った人へのトリビュートなのでしょう」と書いていました。具体的な人物像を探れなかった点は残念ですが、遠からずという印象を抱けたことにはかなり満足しています。

ちなみに、そのとき、「なぜか全体の雰囲気がイーグルスのドン・ヘンリーの"YOU'RE NOT DRINKING ENOUGH"(『BUILDING THE PERFECT BEAST』収録)に似ている気がする」とも書いていました。たしかに、今でもそんな感じがします。

<国内盤ボーナス・トラック>
11

STANDING AT YOUR DOOR
スタンディング・アット・ユア・ドアー

ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

これって、もしかして・・・。

もしかして、ロバートの父親へ捧げる歌なのでしょうか?そう考えると納得いく歌詞がいくつかあります。≪Most of my life I was living without you≫、≪Independent son≫、≪What part of me has come from you ?≫などなど―――。そして、≪今、あなたのドアの前に立っている≫。何と言っていいか分からないですね・・・。

ロバートは両親の離婚に伴い、15歳のときにニューヨークはブルックリンから母親に連れられてシカゴへと移り住んできます。こうして色々なことを考えると、歌詞の内容を吟味するのがいかにも詮索じみて嫌になってきそうです。

そういえば、ロバートは80年代後半から90年代初頭のいずれかの時期に、再びニューヨークに居を移しています(詳しくはこちら)。

この曲を作ったと思われるのもおそらくその90年代前半です(但し、クレジットは93年)。故郷に帰ってきて、今まで胸に秘めていたものが抑えられなくなったのかもしれませんね。

曲調は、たしかに、最近のサウンドと言えば言えますが、『遙かなる亜米利加』やソロ第1作『SKINNY BOY』あたりの内省的なロバート節が久々に聴かれます。

なお、この曲は先にロバートのソロ第3作『IN MY HEAD』(99年)に収録されていました。イントロと後半のフェイド部分がちょっと異なり、全体の秒数が若干短い程度の違いです。もちろん、そこにはジェリーとカールのヴォーカルは入っていません。

12
BLUE AFTER ALL
ブルー・アフター・オール
ROBERT LAMM BRUCE GAITSCH

もともと、B-L-Wプロジェクトの最初期に吹き込まれた曲の一部でしたが、本国でのリリース時には未収録に終わります(クレジットは93年)。

それが、伊藤秀世さんのご尽力により、日本盤にボーナス・トラックとして追加されるに至りました。

何の前触れもなく心変わりした彼女。≪キミに僕の気持ちが分からなかったのはお気の毒としか言いようがないね≫とロバートらしい捨てゼリフ。しかし、≪結局ブルー≫になっているので、やはり、単なる強がりというべきでしょうね。

13
IN THE DARK
イン・ザ・ダーク
GERRY BECKLEY PHIL GALDSTON

これも日本盤のみのボーナス・トラック。

本来は"HIDDEN TALENT"という3人で共演した曲があったのですが、この『LIKE A BROTHER』が出る前にアメリカの『HUMAN NATURE』(98年)に収録されたため、どうやら版権上の問題により、伊藤秀世さんの願いも空しく、当『LIKE A BROTHER』に収めることはできなかったようです。

その代わりに、ジェリーが提供してくれたのがこの"IN THE DARK"だったのです。これはもともとジェリーのソロ用にストックしてあったものらしいのですが、ロバートやカールのバック・ヴォーカルもちゃんと入ってるそうです。「そうです」と微妙な言い方をするのは、本当にバック・ヴォーカルが入っているのか、私にはよく分からないからです。むしろ、ジェリーのセルフ・バック・ヴォーカルばかり目立ちます。

現在、アメリカというグループは、ジェリー・ベックリーとデューイ・バネルによるデュオ編成となっています。面白いことに、この2人の作風はとても対照的です。よく“ジェリーは内の音楽、デューイは外の音楽”と評されます。つまり、ジェリーは内心の気持ちとかを(例:"金色の髪の少女")、デューイはアウトドアを(例:"名前のない馬")、それぞれモチーフにすることが非常に多いのです。

この"IN THE DARK"は間違いなくその内なる音楽家ジェリーの特徴があますところなく出ています。ソロ用に備えていたテイクということもあって、まさにジェリーの曲そのものを聴いてるような錯覚に陥ります。

特筆したいのはジェリーの心象風景的な作詞センスです。冒頭、≪日が落ちても僕は元の場所にいる≫、≪夜の暗闇が僕の傷ついた心の中に忍び寄る≫、そして、≪僕は暗がりの中≫などなど。

このアルバムを聴かれた方には、どうしても、ジェリー・ベックリーやカール・ウィルソン関連の活動にもぜひ注目していただきたいなあ、と思うのでした。