作者のロバート・ラムは、4作目『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』(71年)の収録対象となった71年4月のニューヨーク公演において、この曲のことを「a brand new song (=最新曲)」と紹介して演奏しています。また、翌72年6月には、日本公演でも披露し、この模様は日欧向けの『ライヴ・イン・ジャパン』(72年11月)に収録されています。つまり、これらはすべて“ライヴ・バージョン”という形でした。
この経過をたどって見ると、曲自体は、少なくとも71年には出来上がっていたと考えられます。
そして、このたび2002年8月に再発された5作目『シカゴV』(初出72年7月)に収録された“スタジオ・バージョン”は、71年9月に録音が行われています。すなわち、カーネギー・ホールでの公演の5ヶ月後ということになります。
しかし、残念ながら、この“スタジオ・バージョン”は、ボーカルが含まれていない、楽器演奏のみのバージョンです。とはいえ、初CD化であることに変わりはありません。ただ、上記“ライヴ・バージョン”よりも演奏時間が2分近く長い点が特徴です。
曲中、テリーの爆音ギターは、ファースト・アルバム『シカゴの軌跡』(69年)の"FREE FORM GUITAR"を思い起こさずにはいられません。
なお、ロバート・ラムのオフィシャルによれば、楽曲クレジットは72年と明記されています。
内容は、ときのニクソン政権に対する辛辣(しんらつ)な批判を含みます。とくに、べトナム戦争が泥沼化し、多くの生命が失われていく中で、ロバートはニクソンの即時辞任要求を歌詞に託したのです。つまり、タイトルにある“リチャード”とは、このリチャード・ニクソンを指すわけです。
かのウォーターゲート事件が発生、発覚し、一大スキャンダルとなったのが72年6月でしたから、この曲がニューヨークのカーネギー・ホールにおいて演奏された71年4月は、この事件よりも1年以上も前だったわけです。そして、ついに74年8月に至り、渦中のニクソンは大統領職を辞することとなります。
このニクソンの辞任劇は、ベトナム戦争での敗退および当のウォーターゲート事件を起因とする政治不信により意気消沈した多くのアメリカ国民を安堵させ、また、マスコミをして、こぞって「欠陥を併せ持ちながらも法治国家としての面目を躍如した、“制度の勝利”」と評価せしめたようです。
大まかに言うと、この70年代中期は、アメリカ全土が一種の癒されたい気持ちを共有するようになり、内省的または懐古的な風潮に見舞われることになります。そして、このような風潮は、シカゴの作風にも如実に反映していった、と見て妨げないでしょう。
なお、91年11月に、コロムビア時代の曲を集めたボックス・セット『グループ・ポートレイト』(91年)が発売され、この曲も収録されましたが、これは前述の『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』の収録曲を、その前後を編集して収録したものと思われます。
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