ディスコグラフィ   ロバート・ラム(02)

LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD (1993/9)
ROBERT LAMM

曲目 マイ・ネイバーフッド
ロバート・ラム
総評

試聴♪

Produced by RANDY GOODRUM (01、05、07、08、12)
PHIL RAMONE (02、03、04、06、09、10)
Co-Produced by JOHN VAN EPS (02、03、04、06、09、10)
JOHN VAN EPS (11)
DAVE KATZ (13)
cf. 上記アルバムは、2006年5月にボーナス・トラックを追加して、 『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD 2.0』(デジパック)として再発されました。今のところ、CDBabyが主な販売サイトとなっています。

なお、各種販売サイトにおけるご購入にあたっては、「発売日(2006年5月以降)」と「ボーナス・トラックの有無」をご確認ください。
また、場合によっては、アルバム・タイトルの後に「2.0」と表記されていることが目安となります。

曲目 <ボーナス・トラックの邦題は単純にカタカナ表記にしてあります>
01 MY NEIGHBORHOOD (Version A) マイ・ネイバーフッド (バージョンA)
02 WHEN THE RAIN BECOMES ホエン・ザ・レイン・ビカムズ
03 ALL THE YEARS オール・ザ・イヤーズ
04 MURDER ON ME マーダー・オン・ミー
05 JESSE ジェシー
06 AIN'T NO ORDINARY THING エイント・ノー・オーディナリー・シング
07 TABLA タブラ
08 IN THIS COUNTRY イン・ディス・カントリー
09 WHEN WILL THE WORLD BE LIKE LOVERS ホエン・ウィル・ザ・ワールド・ビー・ライク・ラヴァーズ
10 MY NEIGHBORHOOD (Version B) マイ・ネイバーフッド (バージョンB)
<再発盤ボーナス・トラック>
11 CAN'T BELIEVE MY EYES キャント・ビリーヴ・マイ・アイズ
12 1-2-3 1−2−3
13

MY NAKED HEART

マイ・ネイキッド・ハート
総評

1993年に発売された、ロバート・ラムのセカンド・ソロ。

しかし、2006年5月に、ボーナス・トラック付きで再発されました!

外装はデジパック仕様です。リマスター表示はありませんが、録音レベルは多少上がっている気がします。いわゆる録音レベルの調整ということかもしれません。

現在では、CD Babyで発売が始まっています。

01

MY NEIGHBORHOOD (Version A)
マイ・ネイバーフッド (バージョンA)

ROBERT LAMM BILL GABLE

アフリカや南米のテイストをふんだんに盛り込んだ導入部。とても軽快です。

ロバートが歌っているのは、自分の近所に住んでいる人たちの暮らしぶり。登場人物は、映画スター気取りで女を泣かせまくるルー、夢を追いかけて貯金に励むテルマ、平凡だけど働き者のラウル、無口なジョー爺さん、などなど魅力あふれる人たちばかり。ロバートの観察眼が冴える曲ですね。

このように人名を設定して、その人たちの生活を描き出していく手法は、これ以降も継承されていきます。とくに、ソロ4作目『SUBTLETY & PASSION』の"IT'S A GROOVE, THIS LIFE"は、本曲の続編とも言うべき構成になっています。いずれも、各人の人生を肯定的に捉えているところに安堵感があります。

さて、本曲"MY NEIGHBORHOOD"には、バージョンAとバージョンBがあります。AとBでは、主に楽器演奏者とバック・ヴォーカル担当者に相違を見つけることができます。また、Aはランディ・グッドラムがプロデュースし、もっぱらロバートが中心となって製作されています。これに対して、Bはフィル・ラモーンとジョン・ヴァン・エプスが共同プロデュースし、このジョン・ヴァン・エプスが主導する形で仕上がっています。

なお、この曲は、CD付属のライナーでは1988年の製作、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトではその前年の1987年の製作とあります。ちょうど『シカゴ18』(86年)と『シカゴ19』(88年)の間にあたります。

本曲の共作者であるビル・ゲイブルとは、『シカゴ18』においても、"FOREVER"を共作しています。このビル・ゲイブルは、ロサンゼルスその他を拠点に活動するソングライター兼エンジニアです。自身でも数枚のアルバムをリリースしています。

02

WHEN THE RAIN BECOMES
ホエン・ザ・レイン・ビカムズ

ROBERT LAMM BILL GABLE

雨の日の情景に、恋人に会いたいという気持ちを重ね合わせて歌っています。と同時に、この恋人とはすでに破局している様子がうかがわれます。しかも、今住んでいる街には友達と呼べる人もなく、寂しさが募るばかり、といった内容でしょうか。

ロバートの詩は、略が多いため、ある程度言葉を補っていかないと理解しづらい面があります。しかし、それが見事つながると、とても素晴らしい物語が見えてくることがあります。まるで、日本の俳句を評釈するような感覚です。

サビの前後、≪雨の日は、部屋に閉じこもって太陽が輝き出すのを待つ。なんて時間の浪費だろう。この街では僕は1人ぼっち。ああ、もし、この雨がキミだったら・・・。キミに会いたいという気持ちが雷のように舞い降りてくる≫。ここでは、孤独感から、彼女に会いたいという気持ちが導かれています。

≪送るつもりもない手紙を書いている≫というのは、最終節の≪お互いサヨナラをした仲だけど、またキミに会いたいなんて馬鹿げた心境でもある≫という部分と照らし合わせると、やはり、2人がすでに別れているうえに、ロバート側に多少の未練が残っていることを暗に指し示すものと考えることができそうです。

なお、共作者のビル・ゲイブルについては、"MY NEIGHBORHOOD"をご参照ください。

03
ALL THE YEARS
オール・ザ・イヤーズ
ROBERT LAMM BRUCE GAITSCH

この曲は、ロバートのソロ第2弾である本作(93年)と、当時発売が見送られたシカゴの『STONE OF SISYPHUS』(94年発売予定。2008年発売)の両アルバムに収録されています。

従って、リリース順だけ見ると、ロバートのソロ用に製作されたもののように映ります。しかし、実は、もともとは、シカゴ用に製作された楽曲だという話です。それを裏付けるように、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトでは、この曲は「1990年製作」とクレジットされています。

とはいえ、各アルバムにおいて、この"ALL THE YEARS"はそれぞれ違ったアレンジが施されています。そのどちらがオリジナルに近いのかは、よく分かりません。

さて、両者を比較してみますと、(1)歌詞の過不足があるとともに、(2)サビの歌詞が前後していることが分かります。また、『STONE OF SISYPHUS』バージョンには、(3)イントロに大胆なギター・カッティングが導入されているほか、(4)間奏部分に、シカゴのファースト・アルバム収録の"PROLOGUE, AUGUST 29, 1968"から、≪The whole world's watcing≫というシュプレヒコールがサンプリングされている、などの相違があります。印象としては、シカゴの『STONE OF SISYPHUS』バージョンの方が幾分洗練されている感じがします。


ところで、ロバートは、この曲について、「アメリカの政治に幻滅したことと、シカゴの一部という文脈の中における自分の個人的な進化について語ったものです」と述べています。

ご承知のように、ロバートは熱心な民主党支持者です。

しかし、1981年から2期8年間、共和党のレーガン大統領が政権を担った後、次期大統領を決める1988年の選挙では、またしても共和党のブッシュ(=父)候補が勝利を収め、翌1989年からも同党の政権が続くことになります。

そして、上記のとおり、ロバートのオフィシャル・ウェブサイトによれば、この曲が書かれたのは「1990年」なのです。

このような経過を追った上で、この曲の歌詞を眺めますと、いかにロバートが当時のアメリカの政治に幻滅したかを窺い知ることができて、実に興味深いものがあります。

中でも、≪僕たちは勝つチャンスもあった。でも、時代が変わってしまったんだ。僕らはもっと高いところには行けなかった≫とあります。なお、この部分は、『STONE OF SISYPHUS』バージョンではカットされています。

また、なぜ間奏部分に政治家の演説が挿入されているのかについても得心がいくようになります。

一方、シカゴの一部という文脈の中における自分の個人的な進化という点については、具体的にはよく分かりません。今後、じっくり考えてみたいと思います。

04

MURDER ON ME
マーダー・オン・ミー

ROBERT LAMM FRANKIE VINCI

≪murder≫とは、≪殺人≫の意。もっとも、ここでは、おそらく、≪死ぬほどのこと≫が転じて、逆に、≪最高のもの≫というニュアンスで使われているものと推察されます。つまり、最上級の意味で用いていると考えました。従って、≪Your love is murder on me≫とあるのは、≪キミの愛は死ぬほど最高≫とでも訳せましょうか。

≪人生はまるで映画のよう≫。≪キミみたいな女性に会うなんて思いもしなかった≫。≪キミの愛は死ぬほど最高≫。≪離れていれば離れているほど、ハッキリとそう分かるんだ≫。≪キミが誰と会っているのか、キミは本当の僕のものだったのか、今はそんなことばかり考えているよ≫。≪まったくキミのせいさ≫。

このように、本曲は、ロバートによる“愛の苦しみ”が描かれているようです。

一方、1分21秒以降の歌詞がライナーから欠落しています(なぜか邦訳には相当部分の訳詞が存在)。

Comfortable in my skin
Too many years had not been
I can deal with almost anything but loving you

共作者のフランキー・ヴィンチについては、これといった情報もありませんが、フォトメイカーというグループに在籍したヴォーカル兼キーボーディストがその人かもしれません。

05

JESSE
ジェシー

ROBERT LAMM STEVEN TAVANI

岐路に立つ恋人。自分たちがたどってる道は正しいのか?と疑問を投げかける主人公。≪とにかく確認しあおう。大切なのは愛することだよ≫というサビ部分は非常に穏やかな雰囲気で歌われています。

しかし、この歌詞には、他に何らかのメッセージが秘めらている感じがしないでもありません。

なお、ギターは、ドウェイン・ベイリーが担当しています。

他方、共作者のスティーヴン・タヴァニという人についてはよく分かりません。わずかに、マイケル・オマーティアンのソロ・アルバム『THE RACE』(91年)においてバック・ヴォーカルで参加しているのを発見できるのみです。

06
AIN'T NO ORDINARY THING
エイント・ノー・オーディナリー・シング

ROBERT LAMM GERARD McMAHON

07

TABLA
タブラ

ROBERT LAMM RANDY GOODRUM

ジャングルの中にでも迷い込んだかのような出だし。全体の曲調もまるでアフリカン・ミュージックのよう。但し、その雰囲気をかもし出すドラム系統はすべて打ち込み仕上げです。

さて、タイトルの≪TABLA≫という名前ですが、ロバートは自らのオフィシャル・ウェブサイトで、この命名の由来について触れています。

早い話が、≪タブラ≫は実在の女性(少女?)だが、それは彼女の本名ではなく、ロバートが名付けた架空の名前、だそうです。

どうやら、これは、1980年代後半の、「アムネスティ・インターナショナル・ニューズレター」の中で報告された話が元になっているようです。アムネスティ・インターナショナルといえば、世界的な人権擁護団体ですから、そこのニューズレターということは、人権問題に関する機関紙や通信など何らかの情報ソースだと思われます。しかし、その記事に取り上げられた女性ないし少女が一体どのような事件の渦中にいたのかという点については、ロバート自身が言及していないため、私にもよく分かりません。

ですが、いくらか想像することはできます。

例えば、歌詞中≪Chittigong≫とは、日本ではチッタゴンと訳されるバングラデシュの都市名を指します。かの国バングラデシュでは、1971年に独立した後もなお、政局は混迷を続け、経済も極度の貧困状態に直面します。また、幾度となく多数宗教徒による少数宗教徒の弾圧があった、とのこと。具体的には、90年代に至るまで建造物の破壊をはじめ、性的暴力、さらには大量の虐殺行為が行われてきた、と言われています。

歌詞から判断するに、ロバートがモデルとしたこの“架空の女性”タブラについて、どうやら性的な暴力を示唆するものはないようです。むしろ、選挙の話が出てきますので、この国の不正な選挙(例:複数回投票などの事例はとくにひどかったらしい)や、軍事政権による宗教弾圧および言論統制に対する反発を感じ、その象徴として、該当記事に登場した名もなき一女性を取り上げたものと考えるくらいが落ち着きがよさそうです。

ところが、話はこれで終わらず、ロバートはさらに興味深いコメントを披露してくれています。

すなわち、なんと、歌詞はロバート自身が書いたが、曲はピーター・セテラが書いたものだ、と言うのです!ロバートがこのアムネスティの記事に接したのが80年代の後半ですから、すでにピーターはシカゴを去っています(1985年脱退)。すると、ピーターが脱退前に残したメロディの使用権自体はシカゴ側に残っており、ピーターの脱退後、ロバートがそのメロディを拝借したということなのでしょうか?

しかし、ロバートは続けて、こんなことも述べています。つまり、ピーターは曲は気に入っていたが、自分(=ロバート)がデモ用に書いた歌詞が政局に関するものだったので、気分的に引いてしまったのかもしれない、だから、結局ボツになった、とです。

となると、年代的には非常に微妙なので、2つの可能性が考えられそうです。1つは、ロバートのコメント通り、記事は80年代後半のものであり、従って、すでにシカゴを脱退したピーターと2人で共作する機会があったということ。もう1つは、失礼ながらロバートの記憶違いで、この記事を最初に見た時期がピーターの脱退前の84年ぐらいであったということ。はたして、そのどちらなのでしょう???

なお、以上のロバートのコメントは、彼の旧フォーラムにおけるものだったので、現在では、アップされていません。

とはいえ、後年、こうしてロバートのソロ第2弾の中で本曲は無事お目見えしているわけです。曲が埋もれなくてホッと胸を撫で下ろす心境です。その際、ロバートは、新たにランディ・グッドラムと共作して曲を仕上げ直し、歌詞も付け加えた、と語っています。

08

IN THIS COUNTRY
イン・ディス・カントリー

ROBERT LAMM

09

WHEN WILL THE WORLD BE LIKE LOVERS
ホエン・ウィル・ザ・ワールド・ビー・ライク・ラヴァーズ

ROBERT LAMM TOM KEANE DAVID FOSTER

10

MY NEIGHBORHOOD (Version B)
マイ・ネイバーフッド (ヴァージョンB)

ROBERT LAMM BILL GABLE

1曲目のバージョンAに対する別バージョン。

バージョンAと違って、いきなり曲に入ります。

歌詞はバージョンAとほぼ同じですが、中盤、≪Raul, just a plain working man≫から始まる節の歌唱法に変調を加えてあります。この部分にはバック・ヴォーカルが大勢参加し、大変にぎやかな装いです。陽気で人生を楽しんでいるさまが表れています。

また、Aではキーボードで構成されていたパートにギターが用いられていたり、と細かな相違があったりします。

<再発盤ボーナス・トラック>
11

CAN'T BELIEVE MY EYES
キャント・ビリーヴ・マイ・アイズ

ROBERT LAMM JOHN VAN EPS

ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトにおいて、2003年2月の中旬に数日間だけ試聴に供された曲。

製作時期の詳細は不明ですが、以下にありますように、少なくとも1991年以降の作品であることはたしかのようです。


まず、その試聴提供時にロバートが述べたコメントをご紹介します。

"CAN'T BELIEVE MY EYES"。歌詞はジョン・ヴァン・エプス。ロドニー・キング暴行事件発生に呼応して書かれた曲です。シカゴ用のデモ・トラックですが、他のメンバーは聴いていない代物。これがニュー・アルバムに収録される見込みはまずないでしょう


ジョン・ヴァン・エプスは、もともとはキーボード・プレイヤーです。本アルバム『LIFE IS GOOD IN MY NEIGHBORHOOD』(93年)と、次作『IN MY HEAD』(99年)など、主にロバートのソロ・ワークにおいて、キーボード、作詞・作曲面をサポートしています。ロバートがニューヨークに戻って仕事をするときに呼ばれるので、このジョン・ヴァン・エプスもニューヨークに居住するミュージシャンではないか、と推測しています。


さて、問題のロドニー・キング暴行事件の話です。

この事件は、1991年に起こった、警官による黒人青年殴打事件です。その青年ロドニー・キング(当時26歳)は、飲酒運転容疑で警官に逮捕されますが、その際、取り囲んだ警官4人に路上で集団暴行を受けます。しかし、このときの一部始終がビデオカメラで撮影されており、その模様が全米に放映され、衝撃を与えたのでした。思い出された方も少なくないかもしれません。

この事件の問題点は、
(1)暴行に使用されたのがテーザー銃(スタンガンの一種)という残虐な武器であったこと、
(2)アメリカ社会には、黒人を犯罪者視する先入観があるのではないか、という懸念があること、
(3)翌92年のロス暴動を誘発したこと、
などの諸点にあると言われています。

それゆえ、以降、アメリカ社会では、このロドニー・キング暴行事件からロス暴動までの一連の惨事を、人種、下層階級、貧困、といった深刻な社会問題を代表させるような象徴的な事件として取り上げることが多いようです。


肝心の曲の内容は、歌詞が公開されていないため、よく分かりません。曲自体は、ロドニー・キング暴行事件を受けてのものですから、90年代の前半には形ができていたのかもしれません。

また、上記コメントにもあるように、ロバート本人は一応シカゴ用に製作したようです。シカゴにバラード・アルバムを求める多くのレーベル会社との折り合いがつかないことくらい、素人でも容易に想像がつきます。しかし、こういった、社会問題のほか、私的事項も含めた、ロバートの作曲姿勢―――そして、それは初期の頃より変わっていない―――は、今や、シカゴというよりは、ロバート本人のソロ・アルバムの領域で存分に展開されていると言っていいでしょう。

12

1-2-3
1−2−3

JOHN MADARA DAVID WHITE LEONARD BORISOFF
BRIAN HOLLAND LAMONT DOZIER EDDIE HOLLAND

原曲は、1965年11月20日付けで最高位第2位を記録したレン・バリーのヒット曲です。

とにかく、驚くほど軽快な曲です。

ロバートのバージョンは、80年代後半から90年代前半にかけてでなければ存在し得ないような曲調に仕上がっています。

(it's so easy)
(it's so easy)

1-2-3
Oh, that's how elementary it's gonna be
C'mon, let's fall in love, it's easy (it's so easy)
Like takin' candy from a baby

A-B-C
Fallin' in love with you was easy for me
And you can do it, too, it's easy (it's so easy)
Like takin' candy from a baby
It's easy (it's so easy)
Like takin' candy from a baby

Baby, there's nothin' hard about love
Basically, it's as easy as pie
The hard part is livin' without love
Without your love, baby, I would die

1 and 1 are 2
I know you love me and oh, how I love you
Don't try to fight it 'cause it's easy (it's so easy)
Like takin' candy from a baby

(it's so easy)

1-2-3
That's how elementary it's gonna be
C'mon, let's fall in love, it's easy (it's so easy)
Like takin' candy from a baby

It's easy (it's so easy)
Like takin' candy
Ooh, it's as easy as pie (it's so easy)
Ooh, baby (it's so easy)
The hard part is livin' without love (it's so easy)
Don't you know there is nothin' hard about love

13

MY NAKED HEART
マイ・ネイキッド・ハート

ROBERT LAMM DAVE KATZ DENISE RICH

2003年3月、ロバート・ラムのオフィシャル・ウェブサイトで試聴提供された曲。

以下は、その試聴提供時のロバートのコメントです。

この曲は、90年代後半にニューヨークで書かれたものです。友人のデイヴ・カッツと、そのときのスタッフ・プロデューサーでニューヨークの名士でもあるデニーズ・リッチと一緒に書きました。この曲の歌詞は、私にとって非常に重要な意味があります。なぜなら、ラム夫人にインスパイヤされたものですから。演奏は、キーボードやシンセ・ホーンを除いては、スタジオ内での実演です。本来なら、シカゴ用のデモ・トラックとなるはずでした。でも、アルバム自体はレコーディングまで行きませんでした

ここにいうラム夫人とは、もちろん、ジョイ・ラムのことでしょう。


なお、ブラスの音色が聴こえますが、これもロバートのコメント通りだとすると、客演ではなく、シンセサイザーによるものということになります。非常にシカゴらしく思ってしまうのは私だけでしょうか?

共作者の一人、デイヴ・カッツは、90年代初頭に結成された、エクースティック・フーカーというバンドの中心メンバーで、キーボードとボーカルを担当しています。

一方、デニーズ・リッチは、マサチューセッツ出身の女性ソングライター。美貌の持ち主。ヨーロッパ各国での生活経験もあり、英語のほか、フランス語やスペイン語でも作詞をするようです。もともとはフォーク調の曲を書いていましたが、今までは、パティ・ラベルやメアリー・J・ブライジなどR&Bアーティストへの楽曲提供が抜きん出ています。また、セリーヌ・ディオンなども、彼女の曲を取り上げたりしています。


下記の歌詞は、試聴提供時に海外のファンが聴き取ったものですが、あまり自信がないようです。たしかに、修正の余地はありそうです。

When I was in love for the first time
And I didn't know all the rules yet
Just picture of child on a swing
Whose heart's soaring higher and higher
Whose false clothes head's deceiver

This old road I've been on for so long
It leads me to you

My naked heart, it beats again
Yeah, I'm open now to the truth that's revealing
Right from the start I knew it then
When you showed me how to just go with the feeling

I found you when I wasn't looking
Right there in a room full of fools
But a gypsy once said "You will find love!"
That's always been my real desire
With you I'm again a believer

This old road I've been on for so long
Now I run to you

My naked heart, it beats again
Yeah, I'm open now to the truth that's revealing
Right from the start I knew it then
When you showed me how to just go with the feeling

My naked heart found a new friend
In a turnabout like a dance on the ceiling
Right at the start I can't pretend
Turned me inside out
Sent my sensories reeling

Now it's all you
It's about making sure we have love enough for two
Would you say that it's true?
Oh

This old road I've been on for so long
It leads me to you, oh